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太陰暦、太陽暦、太陰太陽暦の違い3つの暦の違いを具体的に

3種類の暦

暦は、大きく分けて3種類あります。

  • 月の満ち欠けをもとにして作られた太陰暦(たいいんれき)
  • 太陽の動きをもとにした太陽暦(たいようれき)
  • 太陰暦と太陽暦とを組み合わせた太陰太陽暦(たいいんたいようれき)

です。これら3つの暦には具体的にどのような違いがあるのか、みていきましょう。

太陰暦~月の満ち欠けをもとにした暦~

太陰暦(たいいんれき)は、月の満ち欠けをもとに作られた暦です。太陰暦の「太陰」とは、そのものズバリ「月」を意味しています。

毎月1日は新月

太陰暦では、新月の日が毎月1日にあたります。新月は徐々に満ちていき、月の半ばである15日頃には「満月」になります。そこから月は次第に欠けていき、月末には新月に戻る一歩手前の「三十日月(みそかづき)」へと姿を変えます。

新月・・・月の姿が一切見えない状態。別名「朔(さく)」とも呼ばれる。

「三十日月」の「三十日(みそか)」とは毎月の終わりの日を表す言葉であり、現代では「晦日」とも表記されます。

「大晦日(おおみそか)」とは、1年間の締めくくりの特別な晦日であるため「大きい」という文字が付いているのです。

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大晦日について、詳しくはこちら 12月31日の大晦日とは?

月の始めを新月(朔)の日にするという太陰暦の考え方は、月の始まりである「1日」を「ついたち」と呼ぶ語源となりました。「ついたち」とは、「月立ち(つきたち)」が変化した言葉です。「立つ」には「現れる」という意味が含まれているため、「月立ち」とは「月が新たに現れること」を意味していると考えられます。また、月立ちとはもともと「毎月1日」のことだけでなく「月の上旬」を意味する言葉だったともいわれています。

1年は約354日

月のリズムに合わせて作られた太陰暦では、1ヶ月が30日の「大の月」と29日の「小の月」が、ほぼ交互に訪れます。大の月と小の月は合わせて12ヶ月分あるため、1年の日数はおよそ354日となります。これは、地球が太陽の周りを1周する日数(365日)と比べて11~12日短い数字です。そのため太陰暦には、年月が経つにつれて「実際の季節の移り変わりとのズレが大きくなる」という特徴があります。

現代に息づく太陰暦「イスラム暦」

太陰暦のひとつとして知られる暦が、イスラム教を篤く信仰している国々で古くから採用されてきた「イスラム暦(ヒジュラ暦)」です。マレーシアやインドネシア、サウジアラビアなどの国々では、現在でもイスラム教に関係する宗教行事や祝日の日取りを決める際にイスラム暦が使われており、人々の生活の中に溶け込んでいます。

ちなみに

イスラム暦の元年・元日は、西暦622年7月15日。

イスラム教の開祖である「ムハンマド(マホメット)」と信者たちが、迫害を逃れて「メッカ」から「ヤスリブ(メディナ)」という土地へ移住した日です。

イスラム暦について、詳しくはこちら 世界の色々な暦

太陽暦~太陽の動きをもとにした暦~

太陽暦(たいようれき)とは、太陽の運行をもとにして作られた暦です。現在、日本を始め、世界中の多くの国で公式的な暦として採用されている「グレゴリオ暦新暦とも呼ばれます)」は、この太陽暦の一種です。

前述のイスラム暦を使う国々のように、公式的・対外的にはグレゴリオ暦を採用しつつも、さまざまな行事の日程を決定する際などには、伝統的な独自の暦を用いる国や宗教圏も存在する。

日本で太陽暦(グレゴリオ暦)が使われ始めたのは、明治6年(1873年)1月1日から。その前日にあたる明治5年12月2日までは「天保暦」と呼ばれる太陰太陽暦(→太陰太陽暦~太陰暦と太陽暦を組み合わせた暦~を参照)が採用されていました。

太陽暦のひとつであるグレゴリオ暦は、暦と季節とのズレがおよそ3300年に1日程度という、非常に正確な暦です。

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1年は365日

太陽暦における1年は365日と定められています(うるう年は除きます)。これは、地球が太陽の周りを一回りするのにかかる日数とほぼ同じです。しかし厳密には、地球が太陽の周りを一周するには、365.2422日かかります。この日数のわずかなズレが少しずつ積み重なっていくと、暦と実際の季節が4年間で1日程度ズレてしまう計算になります。

およそ4年に1度のうるう年

太陽暦にて4年に1日生じる「日にちのズレ」を解消するために設けられているのが「うるう年(閏年)」です。2月は通常28日までですが、うるう年に限り29日(うるう日)までとなり、1年は366日となります。

うるう日について、詳しくはこちら なぜ2月に閏日が用意されるのか

太陽暦のうるう年は、およそ4年に一度巡ってきます。基本的には、西暦が4で割り切れる年はうるう年にあたるのですが、例外もあります。100の倍数であり、且つ、400で割れ切れない年」は、うるう年には数えません。例えば、100の倍数である1900年や2100年は「4で割り切れる」というルールだけを見るとうるう年となりそうですが、400では割り切れないため通常の年(平年)と同じ扱いになります。

ちなみに、うるう年に「2月」の日にちを増やす背景には、グレゴリオ暦の原型となった古代ローマの暦が関係しています。

紀元前に誕生したローマの暦は、ロムルス暦→ヌマ暦→ユリウス暦と改暦を繰り返しながら長い間使われ、1582年にグレゴリオ暦に改められた。

古代ローマの暦のひとつ「ヌマ暦」では、年末にあたる月に「うるう月」を入れ込むことで、暦と季節とのバランスをとっていました。年末というと現代では12月を思い浮かべますが、3月(マルティウス)を新年とする古代ローマの年末は「2月(フェブルアリウス)」だったのです。

ヌマ暦では約2年に1度、2月23日の後ろに22~23日間の「うるう月」を入れることで、暦と季節のズレを修正していた。うるう月は、「清算月」を意味する「メルケドニウス(Mercedonius)」と呼ばれた。

後に1年が1月(ヤヌアリウス)から始まるようになり、2月が年末でなくなってからも、「2月に1年間の帳尻を合わせる」という考え方が変わることはなく、現在のグレゴリオ暦にも影響しているというわけです。

3月(マルティウス)は、昼と夜の長さが等しくなる「春分の日」が属する月です。

古代ローマでは、この春分の日を境に新たな年が始まると考えられていました。

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ちなみに

古代ローマの月名「マルティウス」や「フェブルアリウス」は、ローマ神話に登場する神様の名前に由来します。

これらの呼び名は、現在使われている英語の月名のもとになりました。

詳しくはこちら 英語の月名に登場する神様たち

「エジプト暦」は星を基準に作られた太陽暦?

エジプトでは紀元前3000年頃にはすでに「エジプト暦(シリウス暦)」と呼ばれる太陽暦が使われていたと考えられています。

このエジプト暦は、地球上から見える星の中で最も明るい1等星「シリウス」が「初夏の日の出の直前に、東の空に見え始める時期」を起点として作られました。こう書くと「エジプト暦は星の動きを基準にして作られたのだから、太陽暦ではないのでは?」と思われるかもしれません。しかし、シリウスの観測と太陽の動きには関連があるのです。

シリウスが属する星座はおおいぬ座。このおおいぬ座に太陽が近すぎる時期(現在の5~6月頃)には、その強い光に邪魔をされてシリウスが見えなくなってしまいます。つまり、シリウスが見えるということは、おおいぬ座から太陽が遠ざかった(=地球から見て「太陽が動いた」)ことを意味するため、エジプト暦は太陽暦の一種と呼べるのです。

グレゴリオ暦の前身である古代ローマのユリウス暦は、このエジプト暦を参考にして作られたといわれています。

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太陰太陽暦~太陰暦と太陽暦を組み合わせた暦~

太陰太陽暦(たいいんたいようれき)は、太陰暦をベースとしながら、太陽の動き(季節の移り変わり)にも対応できるように作られた暦です。日本において、明治6年(1873年)まで用いられていた旧暦「天保暦(正確には天保壬寅元暦)」は、この太陰太陽暦にあたります。

旧暦について、詳しくはこちら 旧暦とは?太陰太陽暦はどんな暦だったのか

うるう年は1年が13ヶ月に

太陰太陽暦の月日は、太陰暦と同じく月の満ち欠けによって決められます。つまり、1ヶ月が30日の「大の月」と、29日の「小の月」を組み合わせて、1年を354日と数えます。そのため、地球が太陽の周りを1周する365日とは、やはりズレが生まれてしまいます。

太陰太陽暦では、この季節(=太陽の動き)と暦とのズレを修正するために「うるう月(閏月)」を挿入するうるう年を設けました。太陽暦のうるう年は、うるう日を1日挿入するという方法でしたが、太陰太陽暦ではうるう月として、月を丸ごと1ヶ月分挿入します。うるう年は、1年が12ヶ月ではなく13ヶ月に増えるというわけです。太陰太陽暦におけるうるう年は、19年に7回巡ってきます。これを「19年7閏法(じゅうきゅうねんしちじゅんほう)」と呼びます。

太陰太陽暦におけるうるう月は、実際の季節と暦との差が1ヶ月程度開いたタイミング(3年に1回程度)で入れられました。

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中国から伝来した太陰太陽暦

日本では、天保暦を始めとする太陰太陽暦が、1200年にも渡って使用されてきました。日本で使われていた太陰太陽暦のベースとなった暦は、飛鳥時代に中国から伝わったものです。中国では、今から4000年以上も前に太陰太陽暦が作られ、利用されていたと考えられています。

しかし、太陰太陽暦が生まれたのは中国の黄河流域。日本の季節の推移にはそぐわない点も多く、農業を行う目安としては使いづらいことも多かったといいます。そのため、日本に輸入された太陰太陽暦はさまざまに調整され、より日本の気候に合うように改良されていったのです。

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