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年度の始めはなぜ4月から?日本の国や学校の年度が4月始まりのワケ

4月のカレンダーの写真

そもそも「年度(ねんど)」とは

年度(ねんど)」とは、事務作業や会計処理など、さまざまな目的のために区切られた1年間を意味します。

ひと口に「年度」と言ってもその種類はいくつかあり、例えば国や地方公共団体では、4月1日から翌年の3月31日までを一区切りとする「会計年度」が用いられています。また、日本の学校で採用されている「学校年度」の期間も、会計年度と同じように4月1日に始まり翌年3月31日で終わります。各学校の入学式が4月に、卒業式が3月に行われるのはこのためです。

例えば「令和7年度」の会計年度や学校年度は、令和7年(2025年)の4月1日から令和8年(2026年)の3月31日までの期間です。

顔

一方、ただ単に「年(ねん)」という場合には、1月1日から始まり、同じ年の12月31日で終わるカレンダー通りの区切り」を指します。年度は、この「年」の区切り方には当て嵌まらない「1年間の便宜上の区切り」というわけです。

なぜ日本の年度は4月から始まるようになったの?

日本の国や地方自治体で採用されている「会計年度」、各学校で採用されている「学校年度」などは、いずれも4月1日から始まり翌年3月31日で終わるということは、上で述べた通りです。

同じように、日本の多くの(7割弱)企業で採用されている「事業年度」も、4月1日から翌年3月31日までの期間です。

注意

事業年度の期間は各企業によって決められるため、全ての企業の事業年度が4月1日~翌年3月31日までの期間というわけではありません。

一方、例えばアメリカの学校年度9月から始まり翌年の8月31日までが一区切りという話を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。年度の考え方は国によってもさまざまなのです。

日本では、国や地方自治体の会計年度(4月始まり)に合わせる形で、各学校や多くの企業の年度が決定されたという歴史があります。

それでは、日本の国が採用している年度は、なぜ4月から始まるようになったのでしょうか?これには主にふたつの説が唱えられています。

コメ農家のスケジュールに合わせたから

升に入ったお米と稲穂の写真

ひとつめの説は「コメ農家の収穫・納税のスケジュールに合わせた」という考え方です。

日本の国の会計年度が導入された時期は1869年(明治2年)。当時の会計年度は、10月から翌年の9月末日までが一区切りでした。

注意

会計年度が導入された当初、10月から翌年9月までを区切りとしていたのは、当時の日本には「お米を税金として納める制度」があったから。会計年度の期間も、お米を収穫する時期に合わせたのです。

その後、数回の期間変更を経て会計年度が今日まで続く「4月始まり」に固定されたのは、1886年(明治19年)のことです。

まだまだ農業を生業とする家庭が多かった明治時代の日本。国民が税金を納めるためには、収穫したお米を売り、お金に換える必要がありました。秋に実るお米の収穫から換金納税までの工程を無理なく行える期間を見積もったところ4月始まり・翌年3月終わり」の会計年度とすることが最も適していたのです。国としてもこのスケジュールであれば、納められた税をチェックしたり、翌年の予算を組んだりという作業が余裕をもって行えると考えていたといわれています。

財政危機を解消したかったから

もうひとつの説は「財政危機を解消するための作戦」という考え方です。当時の日本では「国を富ませて兵力を強化する」という目標を掲げ、軍事方面に多くのお金をつぎ込んでいました。しかしついに、1884年(明治17年)日本の国の財政は大赤字の危機を迎えます。

日本が財政赤字のピンチに陥った1884年(明治17年)当時の会計年度は、7月から翌年の6月まででした。

顔

大赤字の危機を前にして、当時の大蔵省のトップ(大蔵卿)であった松方正義(まつかたまさよし)は一計を案じます。彼は、次年度(明治18年度)の酒造税を明治17年度の予算に繰り上げてしまったのです。彼のこの行動により、17年度の大赤字は解消されました。

しかし、明治18年度の予算を一部とはいえ使ってしまったわけですから、18年度の財政はまた厳しくなってしまいます。そこで松方は、18年度を7月から翌年3月までの9ヶ月間に短縮し、予算不足を防いだのです。その流れで、1886年(明治19年)以降の会計年度は「4月始まり・翌年3月終わり」と定めてしまいました。

これらが、現在の日本の会計年度が4月から翌年3月までになった理由として考えられている説です。

学校や多くの企業の年度はなぜ4月始まり?

決算報告書の写真

日本の学校や多くの企業の年度は、4月に始まり翌年の3月で終わりますが、これも、日本の国や地方自治体の年度が4月始まりであることに関連しています。

学校年度が4月始まりになったきっかけは、明治時代の高等師範学校であると伝わります。

高等師範学校・・・中等教育を担う教員を養成する機関。

前述通り、国の会計年度が4月始まりになったのは1886年(明治19年)のこと。国から金銭的な補助を受けていた高等師範学校では、事務処理等を行う上で、年度を国に合わせて4月始まりにした方が都合がよいと判断したといわれています。後に、小学校・旧制中学校→旧制高校→帝国大学と順を追って4月始まりとなっていきました。

学校年度が4月始まりに固定される以前の入学月は、各学校や個人によってさまざまであり、9月を入学時期としている学校もありました。

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一方、日本の企業においては、国の会計年度に合わせた方が決算を処理する際に都合がよいからという理由で、4月始まり3月終わりの年度(事業年度)を導入しているところが多いのです。

ちなみに

日本では4月始まりの年度が多く採用されていますが、異なる年度を用いている業界も存在します。

例えば、砂糖の価格調整のために設けられた「砂糖年度」は10月1日から翌年の9月30日まで、米穀の取引の際に用いられる「米穀年度」は11月1日から翌年の10月31日までなどと決められています。

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