旧暦とは
旧暦とは、簡単に言うと、昔の月日の数え方で、現在使われている新暦に対する呼び方です。今でも伝統的な行事や占いでは、旧暦が重用されています。
旧暦である「太陽太陰暦」は、7世紀に中国から日本に伝わり、明治6年(1873年)まで使われていました。
一口に太陰太陽暦と言っても、現在の新暦(太陽暦)に変わるまでの長い間、日本人の季節感に合うよう、何度も改良が重ねられました。その中でも、新暦に変わる一つ前に日本で使われていた旧暦を「天保暦」と呼びます。
「旧暦」は広い意味では、「新暦以前に使われていた暦すべて」を指します。ですが、一般的に旧暦と言えば、「太陰太陽暦」や「天保暦」を指すことがほとんどです。
旧暦は太陰太陽暦
暦は大きく分けて「太陽暦(グレゴリオ暦)」「太陰暦」「太陰太陽暦」に分けられます。
現在使われている新暦は、太陽暦と呼ばれるものです。太陽の動きに合わせて日にちを数える方法で、地球が太陽を1周する周期を1年(365日)と定めました。太陽の動きと暦が連動しているため、季節と暦にずれが生じません。
一方の太陰暦は、月の満ち欠けをもとに日にちを数えます。月の満ち欠け(平均29.5日)を1か月として、12か月で1年(354日)と定めました。暦と季節のずれ(1年で11日)が生じるため、現在は世界中でも限られた地域でしか使われていない暦です。
太陽暦と太陰暦を合体させたのが太陰太陽暦です。新暦に変わる前、つまり明治6年(1873年)まで使われていた旧暦は、この太陰太陽暦と呼ばれるものです。
太陰太陽暦は、月の満ち欠けをもとに日にちを数えていた太陰暦に、太陽の動きも取り入れて月日を定めた暦です。
太陰太陽暦とはどんな暦だったのか
太陰太陽暦は、新月の日をその月の1日として、2日、3日……と数えていき、次の新月の日を翌月の1日として決めていきます。
月の満ち欠けは29.53日です。新月の日が自動的に1日になるので、自然と大の月(30日)と小の月(29日)が生まれます。こうして12か月で354日となり、1年が今よりも11日短かかったのです。
新月:地球から見て、月と太陽が同じ方向にあるため、地球から月が見えない状態。朔(さく)とも言う。しかし、これではおよそ3年で、(今と比べて)1か月ほどのズレが生じてしまいます。約18年後には半年(6か月)も暦と季節がズレてしまい、8月なのに冬の寒さ、2月なのに真夏の暑さということが起こるのです。
そのため、32~33か月に1度「閏月(うるうづき)」を入れて、1年を13か月とすることで季節とのズレを補っていました。
例えば、3月の後ろに「閏3月」を置いたり、5月の後ろに「閏5月」を置いたりします。
具体的にいうと、2023年には旧暦の閏2月、2025年には閏6月が入ります。気になる方は、ぜひ当サイトのカレンダーで確認してみてください。
この閏月を入れるとき必要になるのが、二十四節気(にじゅうしせっき)。春分や秋分、夏至、冬至などの季節の指標となるものです。
二十四節気は太陽と地球の位置関係から各日にちが決められます。
これが、月の満ち欠けだけでなく太陽の動き(二十四節気)も取り入れた太陰太陽暦の特徴です。
二十四節気をもとに閏月が決まる流れについては、こちらの記事内で紹介しています 「10月がなくなる? 旧暦の2033年問題」 二十四節気について、詳しくはこちら 「二十四節気とは? 知っておきたい読み方や意味」旧暦は明治5年12月2日まで使われており、翌日から新暦の明治6年1月1日に改暦されました。
そのため、明治5年の12月3日から12月30日は存在しません(ちなみに旧暦の大の月は30日までなので、12月31日は存在しません)。
そして、この時点から旧暦の日付を公的に定める機関がなくなったため、新暦の日付と対応して旧暦を表したもの(旧暦カレンダーなど)は、あくまで当時の方法で旧暦として算出した非公式なものです(当サイトのカレンダーで紹介している旧暦も同様です)。
なぜ新暦に変わったのか
当時の日本政府の財政がひっ迫していたことが理由の一つです。明治に入って官僚が月給制に変わりました。そのため旧暦では約3年に一度13か月分の給料を支払わなければならないのですが、新暦では12か月分で済みます。
また、明治維新後の日本は海外との交流が活発化し、西洋に追いつこうと勢いづいていました。すでに多くの西洋の国で採用されていたグレゴリオ暦(新暦)に改暦し、世界基準に合わせたのです。