そもそも「閏日」って何?
現在世界的に広く採用されているグレゴリオ暦(太陽暦/新暦)における「閏日(うるうび)」とは、およそ4年に1度のサイクルで巡ってくる2月29日のことです。
太陽暦における1年は、地球が太陽の周りを一周する(=季節が一巡する)のに必要な日数である「365日」と定められています。しかし実際には、地球が太陽を一回りするには「365.2422日」かかるのです。
つまり、太陽暦の暦と実際の季節の移ろいとの間には、1年間でおよそ6時間(0.2422日)のズレが生まれてしまうというわけです。1年で約6時間のズレが4年積み重なると、暦のズレはおよそ1日になります。
この暦と季節のズレを解消するために設けられた日が閏日です。閏日は、通常の年(平年)は28日までしかない2月に「29日」という形で1日追加されます。なお、閏日が挿入される年は「閏年(うるうどし)」と呼ばれます。
よく「4年に1度の閏年」などといわれますが、厳密には「ほぼ」4年に1度です。閏年を入れる年は、より細かいルールによって決められています。
閏日が2月に用意されているワケ
2月に閏日が用意されている理由を簡単にいってしまうと、グレゴリオ暦のもととなった暦が作られた古代ローマにおいて「年末にあたる2月に閏月(うるうづき)を入れていたから」です。この理由をもう少し深く知るためには、暦の歴史を紐解いていく必要があります。
2月に挿入された「閏月」
現在、広く使われているグレゴリオ暦の大元となった暦は、紀元前8世紀に古代ローマで誕生しました。この古代ローマで作られた最初の暦は「ロムルス暦」といい、後に改暦されて「ヌマ暦」と呼ばれるようになります。
このヌマ暦は太陰暦のひとつであり、1年は355日と定められていました。つまり、実際の季節・気候の変化(=太陽の動き)との間には、1年間で10日程度のズレが生じます。そこで「閏月」を挿入することによって、暦と季節のズレを修正していたのです。
太陰暦(たいいんれき)・・・月の満ち欠けを基準にして作られた暦。 本来、太陰暦における1年は約354日である。しかし古代ローマでは「偶数は不吉な数」と信じられていたため、ヌマ暦の1年は奇数の355日となった。ヌマ暦の閏月とは、22日間、あるいは23日間からなる「1ヶ月を丸ごと暦に挿入する」という方法でした。頻度は2年に1回。閏月の入る閏年は、1年が13ヶ月となります。この閏月を入れ込む月に、年末にあたる2月「フェブルアリウス(Februarius)」が選ばれたのです。
フェブルアリウス(Februarius)・・・古代ローマにおける2月の月名。語源は、毎年2月12日に、ローマ神話の浄化の神様を祀るお祭り「フェブリアリア(Februalia)」が開催されたことから。古代ローマでは、太陽が真東から昇る「春分の日」が属する3月を1年の始まりと考えていました。
つまり、3月のひとつ前の月である2月は「年末」にあたります。
2月23日は1年の終わり?
閏月は、2月の23日と24日との間に挟まれることになりました。
閏月は2月23日の翌日から始まり、22日、もしくは23日間(年によって異なる)続く。その後は再び、2月24日に戻る。毎年2月23日は、ローマの国と国境を守る神様「テルミヌス(Teruminus)」のお祭りが催される大切な日でした。「テルミナリア(Terminalia)」と呼ばれるこのお祭りが無事に終わると、人々は1年の終わりと新年の訪れを感じたといいます。
古代ローマにおいて、背負った借金を清算するタイミングは年末。1年間の暦のズレを調整(清算)するのもまた、年末だったというわけです。
テルミナリアの翌日である2月24日はまだ年明けではありませんが、古代ローマ人の心の中には、「テルミナリアが終わると新年」という感覚があったようです。
根強く残る「2月=年末」という感覚
やがて、3月ではなく1月が新年として扱われるようになると、2月は年末ではなくなりました。しかしそれでも、ローマの人々の間ではテルミナリア祭のイメージが根強く、「2月が年末」という意識が消えることはなかったのです。
古代ローマの英雄ユリウス・カエサル(Julius caesar)の時代には、ヌマ暦は太陽暦の「ユリウス暦」に改められ、閏月の代わりに4年に1度の閏日が設けられました。このときの閏日も、伝統的に「年末」という意識がある2月23日の翌日に置かれたといいます。
私たちが現在使用しているグレゴリウス暦において、2月に閏日が設けられているのも、こうした暦の歴史の名残が今でも残っているためなのです。
ヌマ暦では1ヵ月の日数は29日か31日。しかし2月は「1年の終わりの月」ということで、閏月の挿入など1年間の日数を調整する月でもあったため、2月だけは28日でした。
その後「ユリウス暦」に改められた際、1ヵ月の日数は現在と同じ30日か31日となりましたが、2月だけは28日のままでした。これは2月に宗教的な意味合いの強いお祭りが多くあったため、混乱を避けるために日数を変えなかったと考えられています。
こうして現在の暦でも、2月の日数を調整することで暦と季節のズレを防いでいるのです。