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半夏生とは?禁忌と風習・なぜタコを食べるのか

半夏生の草

半夏生とは

夏至から11日後、正確には太陽が黄経100度の点を通過する日を半夏生(はんげしょう)と呼びます。2024年の半夏生は7月1日です。

黄経・・・天球上の太陽の通り道である「黄道」の経度。

七十二候、また雑節(ざっせつ)のひとつでもある半夏生の時期は、梅雨が終わり暑い夏へと移行する季節の変わり目。昔から、農作業の節目としても大切に扱われてきました。

七十二候・・・気候の変化に応じて1年を72の季節に細かく分けた暦。古代中国で考案された。 雑節・・・日本の気候や暮らしに合わせて作られた暦。節分や八十八夜なども雑節に分類される。 雑節について詳しくはこちら 雑節(ざっせつ)とは意味や読み方、できた理由は?

半夏生の「半夏(はんげ)」とは、漢方の生薬としても知られる薬草「烏柄杓(カラスビシャク)」の漢名です。半夏生の時期はちょうど半夏が生える頃にあたることから半夏生ず(はんげしょうず)」で「半夏生」という名がつけられました。

ちなみに「半夏」という名前の由来は、開花の時期が夏の中頃(半夏)だからだと考えられています。

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農作業の大切な節目

田んぼの中を泳ぐカルガモ

古来より日本各地の農家では「半夏生の日までに田植えを終えていなければならない」といわれていました。半夏生の日までに田植えを済ませられないと、稲の実りが遅くなるばかりか、コメが半分の量しか収穫できなくなると信じられていたのです。このことは「半夏半作」や「半夏半毛」「半夏の後に農なし」などと言い表されます。

青森県の一部の地域では、半夏生の日よりも後に田植えを行うと、田植えの日が1日遅れるごとに、稲穂1本につき1粒の米が減っていくとも伝わっています。

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半夏生は、田植えを見届けた田の神様」が山へと帰っていく日であるともいわれています。人々は、田植えの完了までを見守ってくれた神様のために、神棚や水田にお神酒(おみき)や餅を供えて感謝を伝えました。この行事は「さなぶり」という名で親しまれています。

半夏生の禁忌と風習

紫陽花と傘

半夏生に降る雨は「半夏雨(はんげあめ)」と呼ばれます。昔から、この半夏雨には毒気が含まれているという言い伝えがありました。そのため半夏生の日には、

  • 井戸に蓋をして雨が入らないようにする
  • 井戸水を飲まないようにする

など、半夏雨の毒を防ぐ対策がとられたのです。この他にも、

  • 畑の野菜を採ってはいけない
  • 竹やぶに入ってはいけない
  • 梅の木の下に行ってはいけない
  • 酒や肉を口にしてはいけない

など地域によってさまざまな半夏生の禁忌が伝わっています。さらに、畑に入ると雑草が生い茂り、水田に入ると田が枯れてしまうとも。

これらの禁忌の多くは、働くこと(=農作業)を禁じて、体を休めるために考え出された言い伝えだといわれています。半夏生の日は仕事を休んでゆっくりし、体に良いものを食べることで、蓄積していた疲れを癒し、また元気に仕事をするための英気を養う日でもあったのです。

半夏生の禁忌には、酸っぱいもの(梅干しやグミの実など)を食べると頭髪が禿げるというものもあります。

これは「半夏(はんげ)」と「禿げ(はげ)」をかけたシャレのようなものなのでしょう。

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半夏生の行事食

豊作への祈りを込めた「半夏蛸」

ゆでたタコの足

半夏生の行事食として、主に関西地方で親しまれているのが「タコ(蛸)」です。半夏生の日に食べるタコは「半夏蛸(はんげだこ)」とも呼ばれています。

タコといえば、縦横無尽に動く8本の足が大きな特徴です。このタコの足のように、稲の根も地中をたくましく張り巡るようにという願いを込めて、半夏蛸をいただきます。

タコを食べる慣習は半夏生の日に限ったことではなく、夏至の日から半夏生までの11日間は、ゲンを担いでタコを食べる人が多いようです。

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労をねぎらう「うどん」

打ちたてのうどん

昔は半夏生の日に、田植えや作物の刈り入れを手伝ってくれた親戚や近所の人へのお礼を込めて、うどんを打って振る舞っていたといいます。この日のうどんは、その年に採れた麦を使って打つのがしきたりでした。

この慣習を受けて、香川県の生麺事業協同組合は1980年(昭和55年)に、7月2日を「うどんの日」と定めています。

記念日について詳しくはこちら 7月2日は何の日?
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