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二百十日/二百二十日とは?由来や風習を詳しく解説

強風になびく田んぼの稲

二百十日(にひゃくとおか)/二百二十日(にひゃくはつか)とは

二百十日二百二十日はどちらも雑節(ざっせつ)に分類され、台風が上陸しやすい「農家の厄日として知られています。

雑節・・・日本の気候や農事、暮らしに合わせて作られた独自の暦。節分、八十八夜、彼岸なども雑節に含まれる。 雑節について、詳しくはこちら 雑節とは?

二百十日は立春(2月4日頃)から数えて210日目の日です。日にちは年によって若干異なるものの、概ね8月31日から9月2日頃にあたります。

さらに二百十日の10日後を二百二十日と呼びます。2024年の二百十日は8月31日、二百二十日は9月10日です。

農家の三大忌日

二百十日と二百二十日、そして旧暦の8月1日(新暦では8月下旬から9月頃)の「八朔(はっさく)」の時期は、いずれも台風の害に警戒が必要な日として「農家の三大忌日」と呼ばれました。

立春、旧暦、八朔について、詳しくはこちら

二百十日は中稲の開花時期

稲の花

二百十日の頃は、ちょうど中稲(なかて)が開花し、コメの収穫への期待が膨らむ時期です。同時に、台風の上陸の可能性が高い時期でもあります。台風の強風や大雨で稲がダメになってしまうと、秋の収穫量が大きく減ってしまいかねません。古来より、農作業に従事する人々はこの時期を「厄日」や「荒れ日」と呼び、最大限に警戒しました。二百十日が何事もなく過ぎた場合には、農家の人々は仕事を休み、作物の無事を喜んだといいます。

中稲・・・早い時期に田植え・収穫を行う早稲(わせ)、遅い時期に田植えと収穫をする晩稲(おくて)の中間の時期に収穫される稲のこと。

二百十日の時期に吹く強い風は「野分(のわけ)」と呼ばれました。

「野分」とは「野の木や草が吹き分けられてしまうほどの強風」を意味します。

顔

二百二十日は晩稲の開花時期

中稲の開花時期である二百十日に対して、二百二十日は、稲の中で最も収穫時期の遅い晩稲(おくて)の開花時期にあたります。こちらも、台風の襲来に注意が必要な時期です。

上で述べた通り、二百二十日は二百十日の10日後ですので、だいたい毎年9月11日前後です。台風は9月の上旬よりも、下旬に近付くほど上陸する可能性が高くなります。そのため、二百十日よりも二百二十日の天候に神経を尖らせる農家も少なくありません。

強風を鎮める「風祭(かざまつり)」

二百十日や二百二十日頃の台風の強風を鎮め、作物を守るために執り行われる祭りが「風祭(かざまつり)」です。

風祭は、二百十日や二百二十日の少し前、もしくは当日に開催されます。日本のさまざまな地域で行われてきた風祭ですが、そのしきたりはさまざま。農作業を休んだ人々が集まり、歌ったり酒を飲んだりして作物の無事を祈るというスタイルが多いのですが、千葉県や茨城県などでは、藁で編んだ人形を川などに流す「人形送り」いう風習もみられます。

また、鎌を結び付けた竹竿を高い場所に掲げる「風切り鎌(かぜきりがま)」というおまじないも伝わっています。古来より、鎌は「風を薙ぐ」と信じられており、強風を収めるための大切な道具だったのです。

昔の人は、風切り鎌に使った鎌が錆びつくと、その赤さを「風の神様の血が付いた」と表現したといいます。

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風を収め豊作を願う「おわら風の盆」

おわら風の盆の女踊り

毎年9月1日から3日にかけて行われる「おわら風の盆」は、富山県富山市八尾町(やつおまち)のお祭りです。

江戸時代の元禄の頃より300年以上も続くおわら風の盆は、五穀豊穣を、そして二百十日が無事に過ぎることを願って執り行われます。胡弓・三味線・太鼓が奏でる物悲しくも優雅な音楽と唄に合わせた踊りで、風の神様を鎮めるのです。踊りには、気品漂う女踊りと迫力満点の男踊り、そして豊作を願う豊年踊りの3種類があります。

顔を隠すように編み笠を被った大勢の踊り手たちが、雪洞(ぼんぼり)の立ち並ぶ古い街並みを踊り歩く様子は幻想的。昔の人々はおわら風の盆の期間は仕事を休み、3日3晩踊り明かしたと伝わっています。

「おわら」とは、江戸時代の芸者たちが唄い踊る中で、歌詞に「大笑い」を意味する「おわらい」というフレーズを入れ込んだことが語源だという説があります。

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震災の教訓を忘れない「防災の日」

東京都慰霊堂

関東大震災の犠牲者の遺骨を納める東京都慰霊堂

二百十日にあたることの多い9月1日といえば、関東大震災が起きた日としても知られています。1923年(大正12年)の9月1日・午前11時58分、マグニチュード7.9の揺れが関東地方を襲いました。お昼時ということもあり、火を使っていた家庭が多く、各地で火災が発生。炎は、この日に接近しつつあった台風による強風にあおられて広範囲に燃え広がり、焼死による多くの犠牲者を出しました。

関東大震災の起こった年(1923年)の二百十日は9月2日だった。

この大震災で得た教訓を忘れず、地震や台風などへの理解を深める日ということで、1960年(昭和35年)に、9月1日が「防災の日」と制定されました。また同日は「関東大震災記念日」として、大震災で亡くなった人々の霊を供養する慰霊祭が各地で執り行われています。

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