中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)(十五夜)とは
毎年旧暦の8月15日は中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)(十五夜)です。新暦に当てはめると、2024年の中秋の名月は9月17日(火)です。この日の月は、1年のうち最も美しいといわれています。古来より日本では、中秋の名月の日にお月見を楽しみ、秋の実りに感謝をするという習わしがありました。
旧暦の7月~9月は秋。8月は秋の季節の真ん中=「中秋」であることから、8月の十五夜(じゅうごや)の月は「中秋の名月」と呼ばれるようになりました。
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中秋の名月の別名「十五夜」とは、新月から数えて15番目の満月のこと。月は満ち欠けを繰り返しているため、十五夜の月は毎月見ることができます。しかしその中でも、中秋の名月は格別であるといわれています。
日本において、中秋の名月が特別視される理由には、この時期の日本の気候がお月見をするのに最適であることが挙げられます。
中秋の名月を迎える秋は、月を愛でるのに絶好の季節です。ムシムシとした夏が過ぎ去り、澄み渡った空には冴え冴えとした明るい月が浮かびます。その美しい月を外で鑑賞していても、暑さを感じず快適に過ごせます。あちこちから聞こえてくる虫たちの声も、お月見の雰囲気を盛り上げてくれることでしょう。
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中秋の名月といえば、まん丸い満月をイメージする人も多いでしょう。しかし、中秋の名月の日と満月の日が必ずしも一致するわけではありません。
中秋の名月は、月の満ち欠けをもとに作成された旧暦の8月15日と決まっています。新月が満月になるまでのサイクルは、およそ14.76日です。このサイクルに当てはめると、新月は1日目の月ですので、毎月15日頃には満月が見られるはずです。
とはいえ、新月から満月になる期間がピッタリ15日間ではないため、日にちと月の満ち欠けにわずかなズレが生じてしまう可能性があるのです。例えば、2019年の中秋の名月は9月13日でしたが、満月の日は9月14日でした。
2024年の中秋の名月(9月17日)は満月ではありません。
満月は次の日(9月18日)です。
宮中行事から秋の収穫祭へ
中秋の名月は、唐の時代の中国から伝わった風習です。「月を眺めて祈りを捧げる」という風習は、古来より月を祀る習慣があった日本人にも馴染みやすかったのでしょう。平安時代の頃には、中秋の名月が貴族たちの行事として定着していきました。平安貴族たちは、月を愛でながら和歌を詠んだほか、舟遊びをしたり酒を酌み交わしたりしたといいます。
古代の中国では、中秋の名月の日には「月から天人が降りてくる」と信じられていました。一方、日本の『竹取物語』では、かぐや姫が月へ帰る日が中秋の名月です。
宮中行事だった中秋の名月のお月見は、江戸時代の頃には庶民にも広まっていきました。
庶民たちの秋の関心事といえば、農作物の収穫です。「野菜は元気に育ってくれるか……」「コメはたくさん採れるか……」。雅やかな宴は次第に、作物の生育を祈り、秋の実りに感謝する収穫祭の意味合いが強くなりました。
中秋の名月のお供え
中秋の名月につきものなのが、季節の実りをふんだんに盛り込んだお供え物です。人々は、里芋や栗、大豆、秋の果物などを三方(さんぼう/さんぽう)に供え、ススキを始めとする秋の七草を飾って五穀豊穣を月に願いました。
三方・・・神仏や身分の高い人へのお供え物を飾る台のこと。里芋
里芋(さといも)は、中秋の名月の時期に旬を迎える作物の代表格。日本にコメが伝来する前(縄文時代)には、里芋が主食だった時期もあったというほど、日本人にとって大切な野菜です。
丁寧に皮を剥いた白く小さな里芋は、まるでまぁるいお月様。里芋には、秋の収穫の祝いと、月の見立てという二重の意味が込められていました。里芋を供えるという風習から、中秋の名月は別名「芋名月(いもめいげつ)」とも呼ばれています。
里芋は、株がひとつあればそこから芋が際限なく増えていく野菜です。人々はこの里芋に、子孫繁栄の願いも込めたといいます。
ススキ
秋の七草のひとつであるススキ(薄/尾花)の穂も、中秋の名月には欠かせません。ススキは月の神様の依代(よりしろ)となり、豊作をもたらしてくれると信じられています。また、中秋の名月の日に供えられたススキは、魔除けの縁起物としても大切にされていました。
ススキは、稲の代わりに供えられたのではないかと考えられています。「作物の豊作を祈る」というお月見の目的に照らすのであれば、ススキよりも稲の方が相応しいでしょう。しかしあいにくと、中秋の名月の時期は稲の収穫期前。そこで、同じイネ科であるススキを稲に見立てて飾ったのです。丸い里芋とススキを並べて飾ると、まるで月が稲の実りを祝福しているように見えたといいます。
中秋の名月には、ススキ以外の秋の七草が飾られることも。秋の七草は、以下の七種類。
- 女郎花(おみなえし)
- ススキ(尾花)
- 桔梗
- 撫子
- 藤袴
- 葛
- 萩
頭文字をとって、「オスキナフクハ(お好きな服は)?」と覚えましょう。
月見団子
月見団子は、中秋の名月に供える里芋の代わりとして、江戸時代の後期に一般化しました。米の粉から作られる月見団子のほとんどは、満月のように丸い形をしています。しかし、関西地方では餡をまぶした月見団子も見られますし、現在ではウサギや猫の形を模した可愛らしい月見団子も親しまれています。
供える月見団子の数は、「十五夜」にちなんで15個、もしくは1年の月数に合わせて12個(うるう年には13個)とするのがしきたりですが、地域や家庭によってその数はまちまちです。
中秋の名月が発祥した中国では、お月見をする際には必ず「月餅(げっぺい)」を飾りました。月餅は、満月を模した丸い形の焼き菓子。お供え用としてだけでなく、贈答用としても重宝されたのだとか。
泥棒歓迎?中秋の名月の変わった風習
昔は、中秋の名月の日の「泥棒」は許されていました。許されていたどころか、縁起が良いとさえ考えられていたのです。
中秋の名月の日に許される泥棒とは、お月様へのお供え物を盗む「月見どろぼう」のこと。中秋の名月には、子どもたちが竹槍を手に近所の家々を回り、お供え物を槍に刺して盗み、美味しく食べたのです。子どもたちのこうした行いを人々は、「十五夜様が許す」と言い、温かい目で見守りました。
古来、子どもは月からの遣いと考えられていたといいます。「月の子」たちによってお供え物がすっかりと盗まれてしまった家は、その年の豊作が約束されるのだとか。
中秋の名月の日にはさらに、畑に実った作物を盗んで食べてもお咎めなし。盗んだお供え物や作物を食べた人は風邪をひかなくなるとか、良いことが起こるともいわれています。
こうした風習の背景には、「天からの恵み(=作物の実り)を独り占めしてはいけない。弱い者や困っている人にも分け与えよう」という昔の人たちの温かな心が影響していると考えられます。
中秋の名月の日には、酒に酔った男性の粗相も無礼講として許されました。一方、「若い女性がお供え物を食べると嫁ぎ損ねる」などともいわれ、女性にとっては厳しい面もあったようです。
中秋の名月と並ぶお月見の日「十三夜」
中秋の名月の後には、「十三夜(じゅうさんや)」という名月の日があるのをご存じでしょうか?十三夜とは、中秋の名月のおよそ1ヶ月後、旧暦の9月13日のお月見の日のことです。
中秋の名月の頃と同じように、十三夜の時期の気候もお月見にはピッタリ。十三夜の月も、中秋の名月と並び立つほどに美しいものなのです。
日本では古来より、中秋の名月と十三夜の月を両方とも見なければ無粋であるといわれてきました。どちらか一方の月しか見ないことは「片見月(かたみづき)」と呼ばれる不吉な行いだったのです。
2024年の十三夜は10月15日(火)です。ぜひ、9月17日の中秋の名月と併せて楽しんでみてくださいね。
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