読みもの

節分とは?豆まきや恵方巻についても解説

豆まきをするきじまろ君

節分(せつぶん)とは

2024年の2月3日は節分の日です。節分は雑節(ざっせつ)のひとつであり、立春の前日です。旧暦では12月の後半から1月の前半頃が節分でしたが、現在の新暦では毎年2月3日か4日頃にあたります。

雑節とは

日本の気候や暮らしに合わせて、独自に作られた暦。日本人の生活に馴染んだものとなっている。彼岸や八十八夜なども雑節に分類される。

詳しくはこちら 雑節(ざっせつ)とは 意味や読み方、できた理由は?

鬼を追い払い福を呼び込むための「豆まき」の風習で知られる節分。しかし本来の節分には「季節の分かれ目」という意味があり、年に4回巡ってきました。春夏秋冬それぞれの季節の始まりとされる立春・立夏・立秋・立冬の日の前日は全て「節分」だったのです。

節分の語源は、「季節(節)を分ける」です。

しかし現在では、立春の前日のみが節分の日として定着しています。これは旧暦において、立春がお正月だったためです。立春の前日にあたる節分は、お正月を翌日に控えた大切な日、いわば大晦日です。昔の人々はこのことを重視し、立春の前日の節分だけを特別視するようになったと考えられています。

立春について、詳しくはこちら 立春とは?お正月との関係やしきたりを詳しく

節分のしきたり

豆まき

豆まきの作法

節分の夜に行われる豆まきは、鬼を追い払うために豆をまく儀式です。豆まきの作法は地域や家庭によっても異なりますが、概ね次のようなかたちで行われます。

鬼は節分の日の夜にやってくるといわれています。そこで、節分の夜になったら、まずは家中のドアや窓を開け放ちます。次に、一家の長や年男・年女が、「鬼は外、福は内」と唱えながら、神棚、そして奥の部屋から順番に豆をまいていき、最後に玄関から外に向かって豆をまきます。豆をまき終わったら、すぐに窓やドアを音が立つように勢いよく閉めます。

音を立てて扉を閉めるのには、大きな音で鬼を驚かせて退散させるという目的があります。

なお豆まきも、できるだけ音を立てるようにまくとよいといわれています。

豆まきの後には、自分の年齢の数だけ、もしくは歳の数よりもひと粒多めの豆を食べます。この豆は「年取り豆(としとりまめ)」と呼ばれており、年取り豆を食べることで、1年間病気をせずに健やかに過ごせる、また、1歳年をとることができると信じられているのです。

食べる豆の数が多すぎて、年の数だけ豆が食べられないお年寄りなどは「福茶(ふくちゃ)」を飲むこともありました。福茶とは、年の数の豆にお湯を注いだもの。これを飲むだけでも、年取り豆を食べるのと同じご利益があると伝わっています。

節分の日にやってくる鬼とは?

節分の日にやってくるといわれる鬼は、疫病や災害の象徴です。

上で述べた通り、節分の時期は季節の変わり目にあたります。季節の変わり目は気温も安定せず、気持ちも落ち着かなくなりがちです。そんな時期には風邪をひきやすくなったり、不注意からケガをしやすくなったりするもの。昔の人々は、そういった病気や災難を「鬼が運んでくる」と考えたのです。

ちなみに、鬼は北東の方角「鬼門(きもん)」からやってくると考えられていました。昔は北東の方角のことを丑寅(うしとら)の方角と呼んでいたことから、鬼の姿も牛の角と虎の牙を持っているように描かれたのです。

なぜ「豆」をまくのか

節分の豆まきに使われる豆は、福豆(ふくまめ)と呼ばれます。現在の福豆には、炒った大豆が使われるのが一般的です。昔は大豆の他、稲・麦・粟(あわ)・稗(ひえ)の五穀全てをまいていたといいます。

豆まきの福豆として大豆が定着した理由は、大豆は五穀の中でも、特に強い霊力を持つと信じられていたためです。古人たちは、小さな豆から芽が出て成長する姿に、底知れないパワーを感じていたのでしょう。

豆まきの後に豆を食べる風習も、大豆の霊力を体に取り入れることで、体を健康にする、または、1歳年をとることを目的としています。

また、稲や麦ではなく豆が使われたことには、「魔(鬼)を滅する」から「魔滅(まめ)」とする説や、炒った豆を使うことは、「魔の目を射る(豆を炒る)」に転じるなど、いくつかの説があります。一方、豆まきに使って片付け損ねた大豆が発芽するのは縁起が悪いといわれており、それを避けるために豆を炒ったとも伝わっています。

豆まきのルーツ「追儺(ついな)の儀式」

豆まきのルーツは、中国から伝来した「追儺(ついな)の儀式」(大儺(たいな)や鬼遣(おにやらい)とも)だと考えられています。追儺の「儺」には、災厄や苦しみといった意味があります。その名の通り追儺の儀式は、災いを追い払うための儀式なのです。

日本において追儺の儀式が初めて行われたのは、飛鳥時代・慶雲3年(706年)のことだとされています。当時の日本では疫病が流行り、大勢の人々が亡くなったと伝わっており、この疫病を収めるために追儺の儀式が執り行われたと考えられています。

追儺の儀式は宮中で催されました。鬼を追い払うのは、クマの皮を被り、黄金色の四つ目の面を着けた「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれる役割を与えられた役人です。方相氏の大声と矛を鳴らす音に合わせて、役人たちが矢を射ったり、桃の杖を地に叩きつけたりして鬼を追い払ったといいます。昔は、現在のように豆をまく風習はありませんでした。

方相氏は本来、鬼を追い払う側の役割ですが、見た目があまりにも奇妙で恐ろし気だったため、そのうち「鬼役」として追い払われる対象となりました。

宮中行事としての追儺の儀式は次第に行われなくなっていきましたが、江戸時代の頃には豆をまく儀式として庶民にも広まり、現在まで受け継がれています。

やいかがし

やいかがし」とは、柊(ヒイラギ)の枝に突き刺した焼いたイワシの頭のことです。やいかがしは「焼き焦がし」という意味があり、「柊鰯(ひいらぎいわし)」とも呼ばれます。

節分の日には、やいかがしを玄関や軒下に吊り下げておくという風習もあります。鬼は焼いたイワシの匂いが大嫌いだといわれており、やいがかしを吊るしておくと鬼が家の中に侵入してこないと考えられていたのです。それでも入ってこようとする鬼の目には、柊のトゲが突き刺ささって追い払うというわけです。イワシの匂いをもっと強めるために、焼く際にニンニクやネギ、髪の毛などを加える地域もありました。

節分の時期のイワシは、脂が乗って食べ頃です。地域によっては、豆まきが終わってから、焼いたイワシやイワシのつみれ汁をいただくという風習もみられます。

恵方巻(丸かぶり寿司)

恵方巻(えほうまき)とは

恵方巻(丸かぶり寿司)は、関西で生まれ、昭和初期に広まった比較的新しい風習です。節分の日に、その年の縁起の良い方角「恵方(えほう)」に向かって太巻きを食べると、福がやってくる・人や物との縁が切れないといわれています。

恵方巻の作法は、地域によってさまざまです。

  • 太巻きを食べ終わるまで一切声を出してはいけない
  • 目を閉じて食べなければいけない
  • 食べている間は、心の中で願い事を念じなければいけない

など地域によって独自のルールはあるものの、厳密な決まり事はありません。ちなみに、声を出すことを禁じるのは、幸運が逃げていかないようにするためだといわれています。

太巻きの具材も、七福神と同じ7種類の具材を使うということ以外は特に決まりはないようです。ただし、いくら食べにくくても太巻きを切ってはいけません。太巻きを切ることは「縁を切る」ことを意味し、縁起が悪いとされているからです。

その年の恵方の決め方

恵方巻で重視される「恵方」とは、その年に年神様がいらっしゃる方角のことです。2024年の恵方は、「東北東」です。

年神様(としがみさま)・・・毎年初めに山から降りてきて、人々に幸福を授けてくれるといわれる神様のこと。先祖の霊とする考え方もある。歳徳神(としとくじん)や、正月様などとも呼ばれる。

恵方はその年によって異なりますが、決め方には法則があります。まず、恵方には

  • 東北東
  • 西南西
  • 南南東
  • 北北西

の4種類が存在します。この4種類の中のひとつが、その年ごとの恵方となるわけですが、これはその年の干支の十干(じっかん)によって決められています。

十干とは、中国発祥の陰陽五行思想の五行「木・火・土・金・水」を、陰と陽の性質に分けたものです。十干は全部で10個あり、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」に分かれます。これに、私たちがよく知る「子・丑・寅・卯……」の十二支を組み合わせたものが、その年の正式な干支です。ちなみに2024年は「甲辰(きのえたつ)」の年にあたります。

4種類の恵方は、この十干に割り振られています。十干の中で

  • 甲(きのえ)己(つちのと)の年は東北東
  • 乙(きのと)庚(かのえ)の年は西南西
  • 丙(ひのえ)戊(つちのえ)辛(かのと)癸(みずのと)の年は南南東
  • 壬(みずのえ)丁(ひのと)の年は北北西

となります。2024年は甲辰ですから、甲の方角である東北東が恵方にあたるというわけです。

十干や干支について、詳しくはこちら 日の干支とは?十干十二支、月の干支、年の干支もまとめて解説
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