大祓(おおはらえ、おおはらい)とは
大祓(おおはらえ、おおはらい)とは、心身の穢れや罪、過ちを祓い清めるために、古くから6月晦日や12月の大晦日に宮中や神社で行われてきた神事です。6月の大祓を「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」12月の大祓を「年越の大祓(としこしのおおはらえ)」と呼び、現在でも宮中を始め全国各地の神社で行われています。
晦日(みそか)・・・毎月の最終日のこと大祓は基本的に6月と12月の晦日に行われてきましたが、過去には疫病の流行や大災害、大嘗祭や斎王の卜定などの折に執り行われたことがあります。
大嘗祭(だいじょうさい)・・・新天皇がその年の新穀を神様にお供えし、天皇自身もそれをいただく宮中祭祀。皇位継承の際に行う一世に一度の天皇即位の儀式。 斎王の卜定・・・斎王は天皇の即位後、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に使えるために選ばれる未婚の皇族女性のこと。これを占うことを卜定(ぼくじょう)という。また、6月12月が閏月となった場合には閏月の晦日に行われました。
閏月について、詳しくはこちら 旧暦とは?太陰太陽暦はどんな暦だったのか夏越の大祓とは
古くから6月晦日に行われてきました。現在の新暦では6月30日に行われることが一般的ですが、神社によっては旧暦の6月30日に行う場合もあるようです。
6月30日に行われる理由は、水が貴重で頻繁に衣服を洗濯できなかった時代、雑菌が繁殖しやすい夏を前に新しい衣服に替えて、疫病を予防して残りの半年を健康に過ごそうという意味があったと考えられています。また、旧暦の6月30日は現在の新暦だと7月下旬~8月上旬頃。全国的に梅雨が明け、暑さと日照りが続く夏本番の時期に、夏を乗り越えるための戒めの儀式でもありました。
「名越」「夏祓」「六月祓(ろくがつはらえ/みなづきはらえ)」と呼ばれることもあります。
大祓に行う儀式の内容は神社によって若干異なりますが、主に行われている祭礼を以下で解説します。
茅の輪くぐり
夏越の祓では、多くの神社で「茅の輪くぐり」が行われます。茅の輪(ちのわ)とは、茅(ちがや)で編んだ直径数メートルの輪です。茅はイネ科の植物でチガヤ・ススキ・スゲなどの総称で、葉先が剣のように鋭いことから厄除けの力があると言われています。
参道にしめ縄を張った鳥居を建て、取り付けた茅の輪をくぐることで半年間の病や穢れを祓います。作法は神社によって微妙に違いますが、大まかには以下の通りです。
- 手水舎(ちょうずや)で手と口を清める
- 茅の輪の前で本殿に向かって一礼
- 「唱え詞」を唱えながら、左足から茅の輪をまたいでくぐり、左側を回って正面で一礼
- 「唱え詞」を唱えながら、右足から茅の輪をまたいでくぐり、右側を回って正面で一礼
- もう一度(3)を行う
- 茅の輪をくぐり抜けて本殿をお参りする
唱え詞は神社によって違いますが、代表的なのは
「祓へ給ひ 清め給へ 守り給ひ 幸(さきわ)へ給へ」
「水無月の 夏越の祓する人は ちとせの命 延ぶと云うなり」
などの唱え詞があります。
ちなみに、この茅の輪くぐりは「備後国風土記」の蘇民将来伝説に由来しています。
旅の途中、備後国(現在の広島県あたり)で宿を探していたスサノオノミコト(牛頭天王)。正体を隠して裕福な弟・巨旦将来(こたんしょうらい)のもとを訪れたものの断られてしまいます。その後、貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)のもとを訪ねると、彼は貧しいながらも歓迎して精一杯のもてなしをしてくれました。
後に再訪したスサノオノミコトは正体を明かし、蘇民将来への恩返しに「災厄を逃れるために、茅の輪を腰に付けなさい」と教えたとされています。しばらくして巨旦将来の子孫は滅んでしまいますが、蘇民将来の子孫は災厄を免れることができました。この腰に付ける茅の輪が長い歴史を経て大きくなり、人がくぐり抜けるものになったんだとか。
人形代(ひとかたしろ)
人形代(ひとかたしろ)とは、人の形に切られた白い紙「人形(ひとがた)」に自分の穢れを移して厄払いをする風習で、奈良時代頃から行われてきた伝統的なお祓いです。
神社で配られる人形代に息をふきかけ、全身を撫でて罪や穢れを移します。このとき体の悪い場所があれば特にさすります。(神社によっては氏名や年齢を記載することもあります)その後は他の人の形代に触れないように回収用の箱などに収め、後に神職者が川や海に流します。穢れを受け取った形代は川や海の大自然のエネルギーで浄化されるとされています。最近では流すのではなく、お焚き上げをする神社も多いです。
水無月を食べる
京都では、夏越の祓に「水無月(みなづき)」という和菓子を食べる風習があります。水無月はういろう生地の上に小豆をのせて固めた三角形の和菓子です。水無月に使われている小豆には悪魔払いの意味があり、三角形の形は暑気払いの氷(氷片)を表しているとされています。
旧暦6月1日は「氷の節句」といわれ、室町時代の京都御所では年中行事として氷を口にして暑気払いをする風習が行われていました。
京都には「氷室(ひむろ)」という地名がありますが、「氷室」とは冬の氷を夏まで保存しておく部屋のことで、今の冷蔵庫のような場所です。この氷室を開く日が旧暦6月1日の氷の節句の日で「氷の節句に氷室の氷を口にすると夏痩せしない」と信じられていました。しかし水さえ貴重な当時の夏に、庶民が氷を口にできるわけがありません。そこで京都の庶民の間で氷をかたどった水無月という和菓子が生まれました。
東北地方や信越地方では、6月1日に「氷餅(こおりもち)」を食べる風習がありました。
氷餅とは、正月の時期に搗いて余った餅を、水に浸して凍らせてから寒気に晒して自然乾燥させたお餅で、寒さが厳しく乾燥した地域ならではの伝統的な保存食です。暑さや農作業で消耗した体力を補う意味で、田植えの時期などにも食べられていて、病人食や離乳食としても使われていたようです。
夏越ごはんを食べる
最近では夏の新しい行事食として、夏越の祓が行われる6月30日に「夏越ごはん」を食べる風習が生まれています。夏越ごはんはこれと決まったメニューではなく、以下の2つの要素をおさえた行事食です。
粟や豆などを使った雑穀ご飯
穀物は古くから宮中行事や神事でお供えされてきた重要な食材であり、豆は古くから魔除けの力があると信じられてきました。粟(あわ)はスサノオノミコトを粟飯でもてなした蘇民将来の故事に由来しています。(白いご飯でもOK)
夏野菜を使った茅の輪をイメージした丸い食材
夏野菜のかき揚げ、輪切りのピーマン・パプリカ・ゴーヤ・サツマイモの天ぷらなど
定番はかき揚げ丼ですが、カレーにしたり、ガパオ風にしたりとメニューは自由なようです。
6月30日は「夏越ごはんの日」として2015年に公益社団法人米穀安定供給確保支援機構によって記念日登録されました
年越の大祓とは
古くから12月の大晦日に行われてきた、新年を迎える前に心身を清める風習です。夏越の祓の後の半年分の罪や穢れを払うとともに、1年を振り返る機会にもなります。
6月と12月に同じ儀式が行われる理由は、昔の人は1年を2つに分けて考えていたからだと言われています。しかし次第にその考えは薄まり、疫病の流行期である夏越の祓が重視され、年越の大祓はどちらかといえば存在感が薄くなりました。
年越の大祓でも夏越の祓と同様に、神社によって人形代や茅の輪くぐりなどの神事が行われます。
年末に行う煤払いや大掃除は、自分の家にたまった汚れを清める行為ですが、年越の祓では自分自身の罪や汚れを祓い清める意味があります。