小正月(こしょうがつ)とは
毎年1月15日は小正月(こしょうがつ)です。日本では、1月1日を中心とするいわゆる「お正月」を「大正月(おおしょうがつ)」と呼んで盛大に祝う一方で、1月15日を小正月(こしょうがつ)と呼び、控えめに祝う風習が残っています。
一般的に1月15日が小正月の日とされますが、地域によっては1月14日から16日までの期間を小正月と呼ぶケースもあります。
「お正月」はいつまで?
そもそもお正月とは、いつまでの期間のことを指すのでしょうか?
お正月の期間は、門松などを飾っておく期間「松の内」であるとする考え方が一般的ですが、この期間は地域によって差がみられます。関東では1月7日までを松の内とするところが多く、関西ではちょうど小正月にあたる1月15日までとするところが多いようです。
会社などでは三が日までが正月休みというところが多いことから、働く人たちの中には「お正月は1月3日まで」という考え方も定着しています。
1月15日が小正月として祝われるようになった理由
現在では、1ヶ月の始まりは毎月1日、1年の始まりは1月1日です。しかし、古代の日本の1ヶ月の始まりは、「その月の初めての満月の日」と考えられていました。そして、新たな1年の始まりは、その年の最初の満月の日だったのです。満月の日に年神様が新年を連れてやってきて、1年がスタートすると信じられていました。
年神様(としがみさま)・・・新たな年をもたらし、人々に幸福や豊作を授けてくれる神様のこと。先祖の霊とする考え方も残っている。「歳徳神(としとくじん)」「正月様」などとも呼ばれる。そこに中国から暦が伝来し、やがて月の満ち欠けをもとにした「旧暦」が使われ始めます。旧暦では、毎月1日は必ず新月となり、15日頃は満月となります。
この旧暦に、日本古来の新年の考え方を合わせると、1月15日は「新年」であり「お正月」となるのです。1月15日は新たな年を迎える、1年で最もおめでたい日。この日が小正月として祝われるようになったのは、こうした考えの名残であると考えられています。
小正月は別名「望年(もちどし)」「望(もち)の正月」などとも呼ばれます。
「望」とは望月(もちづき)つまり満月のことです。
小正月のしきたり
左義長(どんど焼き)
左義長(さぎちょう)は、小正月恒例の火祭り。毎年1月14日から15日にかけて、日本全国で行われます。地域によっては子どもたちや、その年の厄年の者が中心になって左義長を執り行うところも多いです。
左義長では、お正月に使った門松や正月飾り、前年にお世話になったお守り、書初めなどを火で燃やしていきます。旧暦では満月にあたるこの日は、炎の浄化の力もより一層高まるといいます。古来、人々はこの炎に、無病息災や豊作の願いをかけました。ちなみに、書初めを燃やした時に天高く舞い上がったら、「書道の腕が上達する」という言い伝えも残っています。
左義長では、お正月に飾った門松を燃やすことから、この左義長の煙に乗って、年神様が山へと帰っていくとも信じられていました。
門松は、年神様を迎え入れる準備が整った家の目印であると同時に、年神様の依代(よりしろ)でもあると考えられている。左義長で焼かれるものは、門松やお守りだけではありません。餅や団子、スルメなども焼かれます。聖なる炎で焼かれたこれらの品を食べることで、1年間の健康が約束されるのだとか。また、左義長の炎や煙にあたる、燃やした後の灰を持ち帰って家の周りにまくなどすると、厄除けになるとも伝わっています。
左義長は、平安時代に宮中で行われていた悪霊祓いの儀式がもととなった行事です。宮中では左義長の際に、短冊や扇子などの貴重な品々を、「尊や尊(とおどやとおど)」というはやし言葉とともに焼いたのだといいます。このはやし言葉が、左義長の別名「どんど焼き」の語源になったともいわれています。
左義長は「どんど焼き」の他、
- 鬼火焼き
- オンベ焼き
- 道祖神祭り
- 三九郎焼き
など、地域によってさまざまに呼ばれています。
ちなみに、この行事のことをなぜ「左義長」と呼ぶのかについては、ハッキリとしたことは分かっていません。しかし、左義長は「三毬杖(さぎちょう/さんぎちょう)」と書かれることもあります。三毬杖の「毬杖(ぎちょう)」とは、毬(まり)を打ち合うための木製の杖のようなもの。平安時代から江戸時代にかけて、子どもの遊び道具として用いられました。つまり三毬杖とは、「3本の毬杖」を意味しています。平安時代に行われていた左義長では、この毬杖を3本組み合わせて、その上で餅を焼いたのだとか。このしきたりが、左義長の語源になったという説があります。
餅花(もちばな)
人々は小正月がくると、餅花を飾って豊作を願いました。餅花とは、小さな花や穀物、野菜などを象った餅や団子を、木の枝に刺したもの。この餅花を神棚や部屋いっぱいに飾り、作物の豊かな実りを祈るのです。この餅花のしきたりがあることから、小正月には「花正月」という別名もあります。ちなみに、養蚕業が盛んな地域では、花や野菜に見立てた餅花ではなく、繭に見立てた繭玉を作りました。
餅花のしきたりは、作物を模した餅であらかじめ豊作の光景を作っておくことで、その光景が現実になるという考え方からきているといわれています。
小豆粥(十五日粥)
小正月の朝には各家庭で小豆粥を食べ、健康を願うという風習も残っています。小豆粥は1月15日に食べることから「十五日粥」とも呼ばれます。
小豆の赤い色には、邪気を祓う力があると信じられてきました。また、赤色は、太陽や血液など「生命力」を想起させる色でもあります。小豆粥には、まだまだ残る冬の寒さを、太陽のパワーで吹き飛ばそうという目的もあったのだと考えられています。
粥占(かゆうら)
粥占(かゆうら)とは、小豆粥を利用した伝統的な占いです。現在でも、小正月に各地の神社で執り行われています。
粥占では、竹のような筒状の物を小豆粥と一緒に煮込み、筒の中に入った粥の状態や、しばらく放置したときのカビの生え方でその年の作物の出来や天候を占います。
鳥追い
小正月には、農業にまつわる行事も多く行われてきました。そのひとつが、子どもたちが中心となって行われる「鳥追い」です。鳥追いでは、子どもたちが鳥を追い払う歌を口ずさみながら家々や田畑を巡ったり、「鳥追い小屋」という小屋に籠ったりすることで、害鳥を追い払います。
鳥追いは東北や関東地方に多く残るしきたりであり、西日本では「きつね狩り」や「もぐら送り」という類似した行事がみられます。
小正月の訪問者
小正月は、異形のものたちがこの世に現れる日でもありました。この「小正月の訪問者」の代表的なものが、秋田県の「なまはげ」です。
鬼の面を被り腰蓑を着け、手には出刃包丁を持ったなまはげは、「悪い子はいねがー。怠け者はいねがー」と言いながら家々をまわります。彼らは人々の悪事を戒め、福を授ける神の遣い。
小正月には、こうした異界からの定期的な訪問者が各地でみられるのです。七福神や神主の恰好をした「かせどり」(東北や九州地方)、なまはげのように恐ろし気な面を着けた「ナモミ(スネカ)」(岩手県)などが知られています。
かつては小正月に来訪していたなまはげ。
しかし、明治時代に現在の太陽暦が採用されてからは、大晦日にやって来ることが定番となりました。