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十三夜とは?十五夜と並ぶお月見の風習

お月見をするきじまろ君

十三夜(じゅうさんや)とは

旧暦の9月13日は十三夜(じゅうさんや)と呼ばれ、お月見の習わしがある日です。現代の暦(新暦)でいうと、2024年の十三夜は10月15日(火)にあたります。

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十五夜にも負けない名月の日

月が最も美しいといわれる日は、旧暦8月15日の中秋の名月(十五夜)ですが、十三夜の月も負けず劣らずの名月。日本では古来より、中秋の名月に続いて、十三夜の日にも月を愛でる風習がありました。十三夜は中秋の名月よりも後にやってくるため、「後の月(のちのつき)」とも呼ばれます。

十三夜の日には、この時期に旬を迎える大豆の収穫が祝われたり、天気や月の様子から小麦の収穫量が占われたりもしました。中秋の名月と同じように十三夜も、ただお月見を楽しむだけの日ではありません。農耕と深く結びついた大切な行事でもあったのです。

また、中秋の名月を共に楽しんだ恋人たちは、「十三夜の日も一緒に過ごしましょうね」と次の約束を交わしたとも伝わっています。

十五夜には「芋名月」という異名がありますが、十三夜はこの時期に食べ頃を迎える「大豆」や「栗」などにあやかって、「豆名月」「栗名月」などとも呼ばれます。

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中秋の名月について、詳しくはこちら 中秋の名月(十五夜)とは?起源や変遷、しきたりを解説

十三夜は日本生まれの風習

中秋の名月は中国から伝わった行事ですが、十三夜の風習は日本で生まれました。

十三夜の頃は、中秋の名月の時期よりも天候が安定していて晴天の日が多く、月が美しく見える可能性が高いといわれています。

十三夜が作りだされた背景には、こうした日本独自の天候上の事情があるのではないかと考えられています。

少し欠けた十三夜の月

2021年の十三夜の月

「十三夜」とは、旧暦9月13日のお月見の日という意味とは別に、新月から数えて13日目の月という意味もあります。

いわゆる「満月」と呼ばれるのは、15日目(十五夜)の月。お月見というと満月を見上げるイメージがありますが、十三夜の月は満月には少しだけ届かない、欠けた月なのです。

やや中途半端とも思える十三夜の月ですが、なぜ日本では、この日の月を愛でるようになったのでしょうか?その理由は、あいにくハッキリとは分かっていません。しかし、醍醐天皇の時代・延喜19年の9月13日に、清涼殿にてお月見の宴が催されたことが始まりではないかと考えられています。

寛平法皇(867~931)が十三夜の月を称え「今宵の月は並び立つものがないほどに美しい」という詩を詠んだから、という説もあります。

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月齢について、詳しくはこちら 月齢とは?

十三夜のお供え

中秋の名月の日と同じように、十三夜の日もお供えをしてお月見を楽しみます。

お供えの内容は、中秋の名月とそれほど変わりはありません。三方(さんぼう/さんぽう)の上に月見団子を乗せ、十三夜の前後に収穫期を迎える大豆、栗、柿などを供え、ススキの穂を始めとする秋の七草を飾ります。

三方・・・神仏や身分の高い人へのお供え物を飾る台のこと。

中秋の名月に供える月見団子は、「十五夜」にちなんで15個というのが一般的ですが、十三夜には13個をお供えするのが習わしです。

秋の七草にはススキ(尾花)の他、萩、桔梗、撫子、藤袴、葛、女郎花(おみなえし)があります。これらは春の七草とは異なり、食べることはできません。

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月見を2度しないのは無粋!「二夜の月」とは

2022年から2026年までの、十五夜と十三夜にあたる日
西暦 十五夜 十三夜
2022年 9月10日 10月8日
2023年 9月29日 10月27日
2024年 9月17日 10月15日
2025年 10月6日 11月2日
2026年 9月25日 10月23日

十三夜の月と中秋の名月とを併せて、「二夜の月(ふたよのつき)」と呼びます。

日本では古来より、「二夜の月」を両方とも見ないと縁起が悪いといわれてきました。例えば、十五夜にはお月見をしたのに、十三夜の日には何もしない。こうした行いは「片見月(かたみづき)」と呼ばれ、とても無粋なこととして嫌われたのです。

さらに、十五夜の日に客を招いた場合には、十三夜にも招かなければ不吉とされていました。そのため、十五夜の日の招待は、相手にとっては非常に迷惑なお誘い(次の十三夜にも必ず訪問しなければならないため)だったようです。

ちなみに、2024年の中秋の名月(十五夜)は9月17日(火)です。片見月を避けたい方は、中秋の名月と十三夜、両方の月を見上げてみてはいかがでしょうか。

人々の親睦を深める「月待ち」

十三夜や十五夜など特定の月齢の月は、昔の人々にとって特別なものでした。人々は、決まった月齢の日が来るとひとつの場所に集まりお供えをして、念仏を唱えながら月が昇るのを待ちました。月が昇ると祈りを捧げ、その後は朝まで飲食を共にしたのです。

この行事は「月待ち」と呼ばれます。集まる仲間は親戚同士や村のご近所同士などが一般的。特に女性たちにとって月待ちは、子の成長や子宝を祈る大切な行事であったといいます。彼女たちは、「子育てがうまくいきますように」「子宝に恵まれますように」と、熱心に月に願いをかけました。

月待ちはもともと、「神様と一緒に夜を過ごす」という信仰的な意味合いの強い行事でした。しかし次第に、人々のコミュニケーションや娯楽、情報交換の場へと変化していきます。気心の知れた者同士で一晩中、悩みや愚痴などを語り合い、お供えを食べお神酒を飲みながら盛り上がったのでしょう。

月待ちを行う日や作法、お供えの内容などは、地域によって大きく異なります。十三夜や十五夜の他、十九夜や二十三夜などに月待ちが行われることもありました。

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