八十八夜(はちじゅうはちや)とは
2025年の5月1日は八十八夜(はちじゅうはちや)です。
雑節(ざっせつ)のひとつである八十八夜は、立春の日(2025年は2月3日)から数えて88日目にあたります。現代の暦(新暦)では、毎年5月1日か2日頃となります。
雑節・・・中国生まれの二十四節気に加えて、日本独自で作られた暦。日本の気候や暮らしに合わせて作られているため、より日本人の生活に馴染んだものとなっている。八十八夜の他、節分や彼岸なども雑節に分類される。八十八夜のすぐ後には、暦上の夏の始まりである「立夏」がやってきます。春と夏が入れ替わろうとするこの時期を人々は大切な節目と考え、夏を迎える準備にいそしみました。
さらに、八十八夜を過ぎると畑に霜が降りにくくなるため、農作物の本格的な栽培を始めるには絶好のシーズン。農家はもちろんのこと、漁師たちにとっても八十八夜は重要な意味を持つ日だったのです。
八十八夜の日を境に霜が降りる日が減ることを、昔の人々は「八十八夜の別れ霜」と表現しました。
茶摘みの最盛期
八十八夜が登場する歌といえば、「夏も近付く八十八夜 野にも山にも若葉が茂る・・・」という歌詞の「茶摘(ちゃつみ)」が有名です。この歌の通り、八十八夜の前後には日本各地で茶摘みが盛んに行われるようになります。
八十八夜の茶摘みに最適な地域は、京都府周辺だといわれています。南北に長い日本列島では、八十八夜の時期の気候が茶摘みに適していない地域もあるのです。
八十八夜は、末広がりの「八」の文字がふたつも重なるおめでたい日。そんな日に収穫されたお茶(新茶)には、無病息災や長寿のパワーが宿っていると信じられてきました。現代においても、「新茶を飲むと、その年1年を元気に過ごせる」と伝わっています。
厳しい冬を乗り越えて八十八夜の収穫の日を迎えたお茶の新芽には、寒い時期にじっくりと蓄えられた栄養素と旨味がギュッと詰まっています。特に旨味のもととなるテアニンという成分が多く含まれているため、二番茶や三番茶と比べて苦みが薄く甘みが強いのです。
人々は昔から、この栄養価が高くておいしい新茶を自分たちで飲むだけでなく、大切な人への贈り物や神様へのお供え物としても活用してきました。
種まきでコメの豊作を祈る
日本では古くから、「八十八夜にコメ(米)の種まきをすると豊作になる」とも言い伝えられてきました。八十八夜の「八十八」を組み合わせると、「米」という漢字になります。この「八十八」という数字が入った八十八夜は、コメ農家にとっても非常に縁起の良い日だったのです。
地域によっては「水口祭(みなくちまつり)」(苗代祭(なわしろまつり)とも呼ばれる)という神事を行い、田の神にコメの豊作を祈願するところもあります。水口祭では、田んぼに水を引き入れる水口(みなくち)にツツジの枝や山吹の花を挿して、焼米などをお供えします。
コメは「88回の手間をかけてようやく実る」といわれていたことから、八十八を重ねた「米」という漢字が生まれたと伝わっています。
「八十八夜の忘れ霜」にはご用心
始めに述べたとおり、昔から、「八十八夜を過ぎると霜の害がなくなる」といわれてきました。そのため八十八夜は、茶摘みや作物の種まきに最適な時期とされています。しかし残念なことに、八十八夜の日以降に霜が降りてしまうことも少なくないのです。
日本は南北に細長く伸びた島であるため、季節や気温の移り変わりも全ての地域で一定というわけではありません。地域によっては八十八夜を過ぎても急激に冷え込み、予期していなかった霜が降りて、せっかく育ってきた農作物が枯れてしまうこともあるのです。
古来より、人々はこの現象を「八十八夜の忘れ霜」や「八十八夜の毒霜(どくじも)」と言い表してきました。
もともと八十八夜とは、「忘れた頃に降りる遅霜(おそじも)には警戒しましょうね」という農家への注意喚起のために作られた暦だともいわれています。
暖かな時期になってから降りる、季節外れの霜のこと。お茶の新芽も、遅霜にあたると急激に枯れてしまいます。
寒い時期は霜への耐性が強いのですが、暖かな季節になると途端に弱くなってしまうのです。
豊漁の時期にあたる地域も
農業とのつながりが深い八十八夜ですが、意外なことに漁業とも関連しています。
瀬戸内海の漁師たちは、八十八夜の日からおよそ1ヶ月間を「魚島時(うおじまどき)」と呼んでいます。彼らにとって魚島時は、豊漁の期間。魚島時に獲れる魚たちは、種類も数もとても豊富です。産卵のためにたくさんの鯛が瀬戸内海に集まる様子は、まさに「魚でできた島」のように見えるのだとか。
「魚島時」は、俳句において春の季語にもなっています。