縁日(えんにち)とは
縁日(えんにち)とは、神仏と特に深い縁が結べる日のことです。縁日は、神様や仏様と、この世を生きる人々が繋がる日。「有縁(うえん)の日」や「結縁日(けちえんび)」とも呼ばれます。私たちを苦しみから救おうと、神仏が手を差し伸べてくれる日であることから、縁日に神仏に願いをかければ「特別なご利益が得られる」と伝えられています。
縁日の語源は、「仏様に会う日」を意味する「会日(えにち)」であるといわれています。この語源からも分かるように、縁日の由来は仏教です。そのため縁日は仏教由来の神様に設定されていることが多いのですが、必ずしもそうとは限りません。菅原道真を神格化した天神様や、航海の安全を見守ってくれる金毘羅様など、仏教以外の神様に縁日が存在することもあります。
縁日の日には、該当する神仏を祀る寺院で特別な催し物が行われることが多いです。「拝観するのも恐れ多い」として、普段は寺院の奥深くで祀られている仏像を開帳したり、縁日の日だけに受け取れるお守りがあったり……。さらに寺院の境内では、縁起物や飲食物を売る露店が立ち並ぶことも珍しくありません。
縁日に露店で買い物をしたり、その土地の名物をいただいたりすることは、娯楽の少ない昔の人々にとっては大きな楽しみのひとつでした。
縁日には、神仏に願掛けをすること以外に「レジャー」としての側面もあったのです。
さまざまな神仏の縁日
日本では古来よりさまざまな神仏が親しまれてきましたが、全ての神仏に縁日が設定されているわけではありません。また、縁日の日取りは神仏によって異なります。ここでは、数ある縁日の中から広く知られているものをいくつか選び、ご紹介していきます。
大黒天の縁日(甲子の日)
60日に一度やって来る甲子(きのえね)の日は「大黒天(だいこくてん)」の縁日です。
大黒天は人々に財宝や幸福をもたらしてくれる神様であり、七福神の一柱としても知られています。中国において大黒天の遣いはネズミであると考えられていることから、十二支の子(ね)の日が大黒天の縁日に選ばれました。子の日の中でも金運の吉日とされる甲子の日は、財運を授けてくれる大黒天の縁日にピッタリです。
江戸時代、甲子の日の夜には「甲子待(きのえねまち)」と呼ばれる行事が行われていたといいます。甲子待ちは、大黒天を祀り、夜遅くまで起きて商売繁盛や五穀豊穣を祈願する行事です。子の日にちなみ、子の刻(23~1時頃)まで寝てはいけなかったといいます。
日の干支について、詳しくはこちら 日の干支とは?十干十二支、月の干支、年の干支もまとめて解説毘沙門天の縁日(毎月寅の日)
毎月の寅(とら)の日は「毘沙門天(びしゃもんてん)」の縁日です。
毘沙門天(「多聞天」や「施財天」とも呼ばれます)は、軍神であると同時に、福徳や財宝を授けてくれる神様でもあります。毘沙門天はたくさんの人々の願い事を聞き、叶えるために、足の速い虎(トラ)を遣わせていると伝わっています。そのため、毘沙門天の縁日にも寅の日が選ばれました。
日頃から、私たちの願いに耳を傾けてくれている毘沙門天ですが、縁日には願い事を叶えるパワーが一層強まると信じられています。寅の日に願いを聞き届けてもらおうと、毘沙門天を祀る寺院にお参りに出かけることは、「寅の日詣で」とも呼ばれます。毎月やってくる寅の日ですが、1年のうち最初の寅の日は「初寅(はつとら)」と呼ばれ、特に縁起が良いとされる日です。
弁財天の縁日(己巳の日)
60日に一度めぐってくる己巳(つちのとみ)の日は「弁財天(べんざいてん)」の縁日です。
弁財天は七福神の一柱である女神様。芸能の神様であり、厄を祓い、金運や商売繁盛をもたらしてくれる神様でもあります。
弁財天はもともと、インドで信仰される「サラスヴァティ」という水神でした。水の神であるサラスヴァティの遣いはヘビであることから、弁財天の遣いもヘビだといわれています。ここから、巳(み)の日が弁財天の縁日となりました。金運のラッキーデーとされる巳の日の中でも、己巳の日はとりわけ縁起の良い日として知られています。
また、1年のうち最初の巳の日は「初巳(はつみ)の日」と呼ばれ、特に大切にされてきました。昔の人々は初巳の日になると、お金やお米を丁寧に紙に包んだのだとか。こうすることで、金運が上昇すると信じられていたのです。
摩利支天の縁日(毎月亥の日)
毎月の亥(い)の日は「摩利支天(まりしてん)」の縁日です。
摩利支天は、日光や陽炎を司る女神です。国家を守り、人々の厄を祓ってくれる摩利支天は、猪(いのしし)の背に跨ってすさまじい勢いで移動するといわれています。この言い伝えから、毎月の亥の日が摩利支天の縁日に選ばれました。
軍神として信仰されてきた歴史も持つ摩利支天。現在では試合を控えたスポーツ選手や、病気に打ち勝ちたい人など、多くの人々が「必勝」を祈願する神様としても知られています。特に1月初めの亥の日は、摩利支天の力が強くなる「初亥の日」として知られ、たくさんの人々が寺院に参拝します。
薬師如来の縁日(毎月8・12日)
毎月8日と12日は「薬師如来(やくしにょらい)」の縁日です。
薬師如来(正確には「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」)は医薬を司る仏様であり、人々を病やケガの苦しみから救ってくれると言い伝えられています。昔から人々は、毎月8日や12日になると薬師如来を祀るお寺に参拝し、病気の治癒や健康長寿の願いをかけてきました。
薬師如来の「薬師」には「医者」という意味があります。また、1月8日は1年のうち最初の薬師如来の縁日にあたる「初薬師」と呼ばれます。初薬師の日から1月14日にかけて、東寺では「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」と呼ばれる法要が執り行われ、国家の安泰が祈念されます。
閻魔の縁日(毎月16日)
毎月16日は「閻魔(えんま)」の縁日です。
閻魔は、地獄にて亡者たちの生前の罪を裁判にかける王様(または神様)であり「閻魔大王」とも呼ばれます。恐ろしげな閻魔ですが、地蔵菩薩の化身であるとも伝わります。昔の人々は来世での安らかな生活を願って、閻魔を祀る寺院に参拝したのです。閻魔の縁日には「地獄極楽図」や「十王図」などを公開し、説法を行う寺院も少なくありませんでした。
地獄極楽図(じごくごくらくず)・・・裁きを受けて地獄で苦しむ亡者も、地蔵菩薩によって救われ極楽へ上がれるという教えを表した絵画。 十王図(じゅうおうず)・・・冥界で死者に裁きを下す10人の王(十王)の姿を描いた絵画。閻魔は十王の中で5番目の王とされる。閻魔の縁日の中でも、旧暦1月16日の「初閻魔」と7月16日は「地獄の釜の蓋も開く」と表現される「閻魔賽日(えんまさいじつ)」として知られています。閻魔賽日は、地獄に暮らす鬼たちは仕事を休み、死者は責め苦から解放されると伝わる日です。世間では「地獄でさえも休みになるのだから、この世に生きる我々も仕事を休もう」という風習がありました。毎日忙しく働く使用人たちも、この日はお休み。貴重な休暇を利用して閻魔詣でをする人も多かったといいます。
「地獄の釜」とは、生前に罪を犯した亡者を煮て苦しめるための釜のことです。
この釜の蓋が開くということは、亡者が責め苦から解放されることを意味します。
地蔵菩薩の縁日(毎月24日)
毎月24日は「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」の縁日です。
人々の苦しみを一身に引き受けてくれると伝わる地蔵菩薩は、子どもたちの守り神としても知られています。
地蔵菩薩を祀る有名なお寺が、「とげぬき地蔵」の名で知られる巣鴨(東京都)の高岩寺(こうがんじ)。初地蔵にあたる1月24日と、5月、9月の24日には大祭が行われ、健康長寿を願う参拝客で賑わいます。
毎月めぐってくる地蔵菩薩の縁日の中でも、旧暦7月24日を中心に行われた行事が「地蔵盆(じぞうぼん)」です。地蔵盆は、道端に佇むお地蔵様たちを供養する行事。その内容は、お地蔵様をキレイに洗って前掛けを新調したり、お菓子を供えた後に子どもたちに振る舞ったりと、地域によって違いがあります。
天神の縁日(毎月25日)
毎月25日は「天神(てんじん)」の縁日です。
天神(「様」をつけて「天神様」とも呼ばれます)とは、平安時代の政治家である「菅原道真(すがわらのみちざね)」のこと。その優秀さゆえに嫉妬され陥れられた道真は、福岡県の大宰府に左遷されてしまいます。左遷先で失意のうちに亡くなった道真は「祟りをもたらす怨霊」として恐れられますが、やがて「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」という神様として祀られるようになりました。天神の縁日「25日」は、道真が亡くなった2月25日に由来します。
政治家であるとともに優れた歌人でもあり、学者でもあった菅原道真を神格化した天神は、学問の神様として親しまれています。特に1月25日は「初天神」と呼ばれ、天神を祀る各地の天満宮などは、合格祈願で訪れる多くの受験生やその家族で賑わいます。