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春分の日(春のお彼岸)とは?春分の日の定義と春彼岸のしきたり

桜の花

春分の日(しゅんぶんのひ)とは

2025年3月20日春分の日(しゅんぶんのひ)です。春分の日は、太陽が真東から昇り真西に沈んでいく日。この日以降、昼の時間が徐々に延びていきます。

自然を称えて生物をいつくしむ日

春分の日は、国民の祝日のひとつにあたります。春分の日が国民の祝日と制定されたのは、昭和23年(1948年)のことです。法律では、「自然を称え、生物をいつくしむ」日であると定められています。

ちなみに昭和22年(1947年)までの春分の日は、「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)」と呼ばれる祭日でした。この日は、天皇陛下が歴代の天皇や皇族方を祀られる儀式が執り行われる日だったのです。

春分の日の日にちは一定ではない

毎年特定の日が春分の日、というわけではありません。おおむね3月20日か21日頃にあたることが多いですが、その年によって春分の日の日にちにはバラつきがあります。

これは、春分の日が、その年の太陽の位置によって決定されるからです。太陽が黄経0度の点(春分点と呼ばれます)を通過する日が、それぞれの年の春分の日と決められています。

黄経(こうけい)・・・天球上の太陽の通り道である「黄道」の経度。二十四節気においては、春分の0度を起点に黄経を24分割し、15度ごとに節気を定めている。

春分の日がいつになるかは、太陽の動きや月の満ち欠けなど、天体や暦に関するさまざまなことが掲載された「暦象年表(れきしょうねんぴょう)」という資料をもとに、前年の2月に決定されます。

きじまろ君の顔

春分の日は「春分」の季節が始まる日

二十四節気の図

春分の日は、二十四節気のひとつ「春分」の季節(期間)が始まる日でもあります。二十四節気とは、1年間を12の季節に分けた暦で、古代中国で考案されました。

二十四節気は季節ですから、1日で終わるものではありません。それぞれの季節は15日間前後続きます。春分であれば、毎年おおむね3月21日頃から4月4日頃までの期間にあたります。

二十四節気について、詳しくはこちら 二十四節気とは?知っておきたい読み方や意味

春のお彼岸(春彼岸)とは

お墓参りの水桶

春分の日を中日(ちゅうにち)として、前後3日間を合わせた1週間は、春のお彼岸(春彼岸)の期間です。2025年の春分の日は3月20日であるため、春のお彼岸は3月17日から3月23日までという計算になります。

昔から、「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、この言葉通り、春のお彼岸を過ぎた頃から冬の凍えるような寒さが止み、徐々に春めいてきます。

お彼岸が始まる日のことを「彼岸の入り」、終わる日を「彼岸の明け」とも呼びます。

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春のお彼岸のしきたり

仏壇に手を合わせる

春のお彼岸には、各地の寺院で法要が執り行われます。また、各家庭では、先祖を供養する仏壇をきれいに掃除してお供えをしたり、お墓参りに行ったりするというしきたりが残っています。

特に、春のお彼岸の中日である春分の日は、「先祖の魂があの世からこの世へと戻ってくる日」であると考えられていました。前述の通り、春分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈む日です。そして仏教の教えでは、亡くなった人が住むという極楽浄土は西の方角にあるといわれています。つまり、太陽が真西に沈む春分の日の夕方は、この世と極楽浄土が最も近付く日なのです。昔の人々は春分の日を、普段はこの世に戻ってこられない先祖たちと交流できる日として大切にしていました。

地域によっては、夏のお盆のときと同じように山に登って先祖を迎えに行ったり、家に先祖を招き入れる準備を整えたりするところもあります。

お盆について、詳しくはこちら お盆とは?

一方、関西地方では、お彼岸の期間中の早朝に東の方角に歩いて日の出を拝み、日暮れには西の方角に歩いて日の入りを拝むという風習が伝わっています。この風習は「日迎え、日送り」や「日の供(ひのとも)」と呼ばれ、この時期の太陽の力を分けてもらうためのしきたりです。

日の出・日の入りを拝む代わりに、東方・西方のお寺にそれぞれ参拝するというならわしもあります。

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春のお彼岸の行事食「牡丹餅」

牡丹餅

春のお彼岸のお供え物、そして行事食として活躍する食べ物が「牡丹餅(ぼたもち)」です。もち米やうるち米をついて作られる牡丹餅は、餡子(あんこ)やきな粉、地域によっては青のりや“ずんだ”、ゴマなど、さまざまな味付けで親しまれています。

そんな中でも、牡丹餅との取り合わせで一般的なのは餡子でしょう。餡子に使われる小豆の赤色には、古くから、魔を祓う効果があると伝わっています。

実はこの牡丹餅、秋のお彼岸に備えられる「おはぎ」と同じものです。牡丹餅は春の花である牡丹が咲く頃に、おはぎは秋の花であるが咲く頃にそれぞれ食べることから「牡丹餅」「おはぎ(お萩)」と呼び分けられているといわれています。

秋のお彼岸について、詳しくはこちら 秋分の日(秋のお彼岸)とは?
その他の説

こしあんで作ったものが牡丹餅で、粒あんで作ったものがおはぎであるとか、周りに餡子をまぶしたものが牡丹餅、上に乗せたものがおはぎなど、両者の呼び分けにはさまざまな説があります。

また、春のお彼岸に食べる牡丹餅は、牡丹の花を真似て大きく丸く作り、秋のお彼岸のおはぎは、萩の花のように小さく細長く作るという慣習もあります。

春のお彼岸の頃は、農作業を開始する時期とも重なります。この時期は、山の神様が里へと下り、田の神様として農作業を見守る頃。

牡丹餅は、この山の神様へのお供え物という意味合いもあると伝わっています。

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お彼岸の語源

恐山の三途の川

恐山の三途の川

お彼岸の語源は、古代インドで使われていたサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多 はらみつた)」。パーラミターは、「川の向こう岸(彼の岸)に渡る」という意味の仏教用語です。

仏教では、人々が暮らす悩み多きこの世(此岸)と、悟りを開いた者たちだけがたどり着ける彼岸との間に「煩悩の川」が横たわっていると教えています。日本では、この煩悩の川を死者が渡る三途の川と解釈し、此岸を「生者が生きるこの世」、彼岸を「死者が暮らすあの世(極楽浄土)」であると考えたのです。

お彼岸の風習は日本だけ?

お線香と数珠

日が落ちる頃に極楽浄土との距離が近付く、語源が仏教用語。こう聞くと、お彼岸の風習は仏教発祥のインドからやってきたもののように思えます。しかし実際には、インドにお彼岸の風習は存在せず、仏教を日本に伝えた中国にも存在しません。お彼岸は、日本独自の風習なのです。

なぜ、日本だけでお彼岸の風習が生まれたのかについて、ハッキリとした理由はわかっていません。一説によると、日本には仏教伝来よりも前から、この時期に豊作や先祖の加護を願う習慣があり、これが次第に仏教の考え方と融合していったのではないかといわれています。

また、聖徳太子が仏教を広めるために、春先に先祖を祀るしきたりの中に仏教を取り入れたとする説もあります。

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