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亥の子とは?しきたりや地域差などを解説

うり坊

亥の子とは

旧暦10月(亥の月)の最初の亥の日は、亥の子(いのこ)と呼ばれています。旧暦の10月は、現代使われている新暦に当てはめると11月頃。2024年の亥の子は11月7日です。

十二支を月・日に当てはめる「月の干支」「日の干支」という暦があります。詳しくはこちら
注意

亥の日は月に一度ではありません。そのため、亥の月の最初の亥の日を農家と武家が、次の亥の日を職人と商人が祝うなどとする地域もありましたが、多くは最初の亥の日が重視されました。

亥の子の時期は、せわしない畑作業が落ち着き、農家の人々もひと休みできる頃。のんびりとした雰囲気の中、作物の実りに感謝し、寒い季節の健康を願う日が亥の子です。

古代中国では、亥の月、亥の日、亥の刻(午後9時~11時)に餅を食べると健康でいられる・子孫が繁栄すると信じられていました。このしきたりが平安時代の日本に伝わり、亥の子として独自の変化を遂げていったのです。

亥の子は「玄猪(げんちょ)の祝日」と呼ばれることもあります。

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亥の子には何をする?

子どもたちが亥の子搗きを行う

亥の子の日には、子どもたちが近所の家々を訪問して亥の子搗き(いのこつき)」を行うしきたりがありました。

亥の子搗きとは、子どもたちが縄の付いた丸い石や、藁(わら)を棒状に束ねたものを手に持ち、地面を叩くというおまじないです。田の神様(亥の子様とも呼ばれます)に感謝を捧げ、悪い霊を鎮め、大地に活力を与えることで、豊作を祈ります。

子供たちと亥の子つきを行うきじまろ君

子どもたちは声を合わせて、「亥の子の牡丹餅(ぼたもち) 祝いましょ ひとつやふたつで足りません」などと歌いながら、家々の玄関前の地面を叩きました。この歌声と地を叩く音が聞こえてきたら、その家の人は子どもたちに小銭を手渡したり、食べ物を振る舞ったりします。食べ物は、牡丹餅やミカンが一般的でした。

もちろん、亥の子搗きをしても何ももらえない場合もありました。がっかりした子どもたちは、「貧乏せえ 貧乏せえ」と悪態をつきながら、次の家へと向かったといいます。

亥の子搗きの時に歌われる歌の歌詞や拍子は、地域によってさまざまなバリエーションがみられます。

こうした一連の流れが、子どもたちが近所を回りながら「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」と言ってお菓子をもらうハロウィンの風習に似ていることから、亥の子搗きは「日本のハロウィン」とも呼ばれています。

亥の子搗きに使われる棒状の藁は、「イノコ棒」とも呼ばれました。

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亥の子餅を食べる

亥の子には、「亥の子餅」を食べるという風習もあります。亥の子餅は、イノシシの子ども(ウリボウ)に似せて作られた和菓子。人々は亥の子餅を亥の子の日の亥の刻(午後9時~11時)に食べることで、無病息災と子孫繁栄、子どもの健やかな成長を願いました。

イノシシは多産で、多い時には一度に8頭ほどの子どもを産むことも。

このことから、亥の子餅には子孫繁栄の御利益があると信じられたのです。

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亥の子餅の風習自体は現在でも残っていますが、餅の作り方はさまざまです。一方、平安時代の宮中では、「ウリボウの姿に似ていること」が重要視されたといいます。また中国では、大豆と小豆、ササゲ、ゴマ、栗、柿、糖の7種類の食材を混ぜて作るというしきたりもあったのだとか。

前述通り、亥の子の日に餅を食べるという風習は中国が発祥です。平安時代に日本に伝わると、亥の子の日に亥の子餅を宮中に献上するという風習が生まれました。この風習はやがて庶民にも広まっていきます。

亥の子は畑の刈り取りが終わる頃と重なり、普段は田畑にいる田の神様が家に戻ってくる日と考えられていました。亥の子餅はまず神様をもてなすために供えられ、下げた後に家族みんなで食べたのです。

暖房器具を出す

古来より日本では、亥の子の日に暖房器具を出すと火事にならず、寒い冬を安心して過ごせると信じられてきました。

そのため亥の子の日が来ると、人々は囲炉裏や掘り炬燵を出して冬の支度を始めたのです。この風習は「炬燵(こたつ)開き」と呼ばれます。

亥の子は「茶人の正月」でもある

亥の子は、茶道をたしなむ「茶人の正月」としても知られています。亥の子の日には、茶道の道具である地炉を開く「炉開き(ろびらき)」が行われます。

茶道ではお湯を沸かすための炉(ろ)が使われますが、夏と冬とで使われる炉は異なります。暑い夏の期間は卓上型の風炉(ふろ)と呼ばれる炉を使い、寒くなると畳に備え付けられている地炉(ちろ)を使います。この地炉に切り替える日(炉開き)に亥の子が選ばれていました。もちろんこちらも、「亥の子に暖房器具を出すと火事が起こらない」という縁起を担いだ風習です。

炉開きの他、茶人たちは畳を新調したり、初夏の頃から大切に保管していた新茶を開封(口切り)したりして、茶道界の正月を祝います。ちなみにこの日のお茶菓子には、亥の子餅が出ることが多いのだとか。

八十八夜の頃に摘み取られた新茶は夏を超えて旨味が増し、亥の子の時期には一層美味しくなるといわれています。

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イノシシと火の関係

亥の子の日に炬燵や炉といった火に関するものを出すと火事にならないとされるのは、イノシシが、そしてと縁の深い動物だからです。

まずイノシシは、仏教の女神「摩利支天(まりしてん)」の遣いだといわれています。摩利支天は陽炎の神様。イノシシに跨って目にもとまらぬ速さで動き、障害となる厄を祓ってくれるのだと伝わっています。摩利支天の眷属であるイノシシにも同じような力があり、火災という厄を祓うと考えられたのでしょう。

また、中国の陰陽五行思想においては、十二支の亥は水の性質を帯びるとされています。水は火を消すことができるため、イノシシにも火を静める力があると考えられるようになりました。

陰陽五行思想・・・全てのものを「木・火・土・金・水」の元素に分け、さらに「陰」と「陽」の性質に分けた、中国発祥の考え方。十二支では亥の他、子(ね)も水の元素に分類される。

亥の子は西日本の風習

日本において亥の子は、主に近畿地方から西側の地域でポピュラーな行事です。東日本では、亥の子と呼ばれる風習はあまりみられません

ただし、千葉県や東京都、埼玉県では、地域によって旧暦10月10日のことを「亥の子」と呼ぶところもあります。

しかし東日本でも、古くから亥の子と同じような行事が行われてきました。それが、「十日夜(とおかんや)」です。十日夜は秋の実りを祝い、田の神様へ感謝を捧げる日。旧暦の10月10日の行事で、現在では新暦の11月10日頃に行われることが多いようです。十日夜にも餅をついたり、子どもたちが「藁鉄砲」で畑や地面を叩いたりと、西日本の亥の子とよく似た風習がみられます。

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