冬至の時期の祭日が習合して生まれたクリスマス
現代の12月25日といえば、キリスト教の神様「イエス・キリスト」の誕生日、いわゆる「クリスマス」の日というイメージが強いのではないでしょうか。しかし古代における12月25日は「冬至(とうじ)」の日であり、「太陽の復活」を祝う様々なお祭りや、キリスト教とは異なる宗教の神様の誕生日として知られていました。
現在、世界各国で祝われているクリスマスは、古代ローマで冬至(とうじ)の時期に行われていた
- 「サトゥルナリア祭」
- 新年の祝日「カレンズ」
- 異教の神様「ミトラス」の誕生日
が習合して生まれたと考えられています。
冬至は「太陽の再生の日」
現在世界中で広く採用されているグレゴリオ暦(新暦/太陽暦)の元となる暦が生まれた古代ローマでは、12月25日が冬至の日と定められていました。
冬至の日は、1年のうちで最も昼間の時間が短くなる日です。昔の人々は、この日を「太陽のパワーが最も弱まる日」であると考えました。力の衰えた太陽は、冬至の翌日から徐々に復活し、それに伴い昼間の時間が長くなっていきます。つまり冬至の日は、太陽が一度滅び、再び力強く生まれ変わる「再生の日」だったのです。
古代ローマ時代には12月25日に固定されていた冬至の日ですが、現在の暦では毎年同じ日に巡ってくるわけではありません。現在、冬至の日は「太陽が黄経270度を通過する日」と決められています。
2024年の冬至は、12月21日です。
黄経(こうけい)・・・天球上の太陽の通り道である「黄道」の経度。クリスマスの3つのルーツ
ここでは、クリスマスのルーツとなったと考えられる「サトゥルナリア祭」「カレンズ」「ミトラス神の誕生日」について解説していきます。
どれも前項で紹介した「冬至=太陽の再生の日」という考え方が基になっています。
ルーツ1・農耕神を祀る「サトゥルナリア祭」
古代の人々は、生物が生きていくために欠かせない「太陽」が蘇る日=冬至を特に大切に扱っていました。そのため冬至の日やその前後には、世界各地でさまざまなお祭りが催されたといいます。その一例が、クリスマスのルーツのひとつとなった古代ローマのお祭り「サトゥルナリア祭」です。
古代ローマでは紀元前より、冬至の時期にはサトゥルナリア祭というお祭りが催されていました。サトゥルナリア祭とは、農耕の守り神「サトゥルヌス」を祀るお祭りです。開催期間は毎年12月17日から1週間。このお祭りの期間中、人々は一切の仕事を休み、宴会を開いたり賭け事に興じたりしたといいます。また、大切な人にキャンドルをプレゼントするという風習もありました。
ルーツ2・新年を祝う「カレンズ」
サトゥルナリア祭の次には、新年の到来を祝う「カレンズ」が控えています。このカレンズも、クリスマスのルーツであるといわれています。
カレンズの期間は、1月1日から3日までです。カレンズの期間中は、お金持ちも貧しい人も関係なく、いつもよりちょっと贅沢な食事をして、パレードなどの催し物を見物して楽しみました。さらに、フラワーリースやランプを贈り合ったとも伝わっています。
このカレンズ、そして前述のサトゥルナリア祭に見られる「お祭り騒ぎ」や「プレゼント」の風習は、現在のクリスマスに受け継がれたと考えられています。
古代には「太陽の生まれ変わりとともに年が明ける」という思想があり、冬至が過ぎると新年とされていました。
ルーツ3・太陽神「ミトラス」の誕生日
クリスマスである12月25日は、イエス・キリストの生まれた日とされています。しかし実際のところ、聖書やキリスト教に関する古い文献を調べても、キリストが何月何日に生まれたのかについては明記されていないのです。
それではなぜ、12月25日がキリストの誕生日といわれるようになったのでしょうか。これには、12月25日がもともと異教の神様の誕生日であったことが深く関わっています。
12月25日はミトラスの誕生日だった
1世紀の古代ローマでは、冬至の日にあたる12月25日を、ミトラ教(ミトラス教)の神様「ミトラス」の誕生日として祝う風習がありました。ミトラ教は古代イランに起源を持つ宗教です。ペルシアを経由してローマ帝国に伝わったミトラ教は、キリスト教が広まる以前の帝国内で篤く信仰されていたといいます。
このミトラ教の最高神が、太陽を司る神様・ミトラスです。太陽神であるミトラスは、太陽と同じく毎年滅び、冬至の日に生まれ変わると信じられていました。そのため「太陽の再生日」である冬至は、太陽神ミトラスの誕生日(生まれ変わりの日)とされたのです。
ミトラスの誕生日を祝うお祭りは「冬至祭」として親しまれました。この冬至祭は3世紀頃になると、ローマ帝国の1年間の行事の中で最も重要なイベントとして扱われるようになりました。
ミトラ教はさまざまな宗教に影響を与えました。
仏教の教えに登場する修行者「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」も、ミトラス神がモデルになったと考えられています。
徐々にキリスト教が大きな勢力に
このように、ローマ帝国内で広く信仰されていたミトラ教ですが、ごく一部の例外を除いて女性は信仰できない宗教であり、しかも信者になるためには厳しい試練を耐え抜かなければならないという掟もありました。つまり、全ての人が無理なく信仰できる宗教ではなかったのです。その隙間を縫うように台頭してきた宗教がキリスト教でした。ミトラ教は、キリスト教が普及していくにつれて影を潜めていきます。しかし「冬至の日(12月25日)=太陽神ミトラスの誕生日」という意識が、人々の中で消えることはありませんでした。
ミトラスの誕生日をキリストの誕生日に
4世紀に入ると、キリスト教の普及とともに、キリストの降誕を祝う「祝日」の重要性が高まりました。しかしキリストの誕生日は、聖書のどこにも記されてはいません。そこで、当時のローマで大きな勢力となっていたキリスト教信者たちは、人々の間に根強く残っていたミトラスの誕生日=冬至の日を、キリストの誕生日として祝うべき日と定めたのです。これが、12月25日がキリストの誕生日「クリスマス」となった由来だと考えられています。
キリスト教はミトラ教を排除する形で広まりました。そのためキリスト教徒側には、キリスト教の中にミトラスの誕生日を取り入れる(=「ミトラ教を忘れてはいませんよ」と示す)ことでミトラ教徒の反感を鎮め、キリスト教をより穏便に布教させるという思惑があったのでしょう。
この頃にはすでに、ミトラスの誕生日はサトゥルナリア祭やカレンズと融合していました。そのため、12月25日に祝われることとなったクリスマスにおいても、パーティーが催されたりプレゼント交換が行われたりするようになったというわけです。
北欧の冬至とクリスマス
ローマ帝国と比べて、北欧にクリスマスの習慣が浸透する速度は遅く、およそ200年をかけてようやく普及したといわれています。
もともと北欧には「ユール(Yule)」と呼ばれる冬至を祝う独自のお祭りがありました。ユールとは「冬至」を意味する言葉です。北欧においても冬至の日は、太陽が滅びるとともに古い年が死に、新たな1年が生まれる日と信じられていました。また、季節の変わり目にあたる冬至の頃は、悪霊や悪魔たちの活動が活発になる時期だと考えられており、ユールにはそれらを鎮めるという目的もあったといいます。
北欧の国のひとつノルウェーで、ユールとクリスマスが混合したのは960年に入ってからでした。当時のノルウェー王「ホーコン善王」が、ユールとクリスマスを同じものとして「12月25日に祝うように」というお触れを出したのです。もともとノルウェーのユールには、ヴァイキングの伝統で「ビールを飲んで浮かれ騒ぐ」という風習があったのですが、これが12月25日に行われるようになりました。ノルウェーのクリスマス(ユール)はその後、ローマ帝国のカレンズからプレゼントの風習が取り入れられ、現在の形に変わっていったと考えられています。ノルウェーでは現在でも、クリスマスのことを「ユール」と呼ぶ習わしが残っています。
ユールでは「ユールログ」と呼ばれる大きな丸太を燃やす風習がありました。
クリスマスケーキの定番「ブッシュ・ド・ノエル」は、このユールログを象ったものです!